私の母親はこういう概念を持っているのではないかと
子供の頃から思っていた
誰かの為に!
と思ってやってくれるのは、根底に思いやりや気持ちがないと出来ない事だけど
それが相手に伝わってしまうと
それは思いやりでも優しさでもなくなって
ただのお節介、となる
見返りを求めて生きてると
ろくなことはない
それでも本人気づいてないのかなんなのか…
以前、父がまだ生きていた時に猛烈に叩いてやった
闘病中の父の気持ちを一番に考えられない
私も大変なんだ、というのが言葉の数々に現れていた
ま。聞いて欲しかったのもあるんだろう
そんな事百も承知だよ
それでも死にゆく本人の辛さをもっと理解してあげないと
このまま明日目覚めないかもしれない
何かやり残した事ないかな
色んな事をずっと考えるからそりゃ寝れなくなって
鬱状態になっていく
近くでみている家族も同じようになってしまうのは違うだろ
と
看取る、というのは本当に辛い
でもね、こっちだって辛いんだよ
は見せちゃいけない
自分のせいで不幸にしてしまった
と思いながら逝ってほしくはないだろうに…
どんな事も
あなたの為よ
と思って、言って、やってる事は実は全て自分の為なんだ
そんな事を思ってるから態度にも出るし、言葉にも出る
なら
やらなきゃいいじゃん
と私は思う
やられてる方は苦しいから
見返りなんて求めないで生きていればいい
自分を取り巻く全ての人に
そしたら自分も相手も楽になれるのに
してあげるって…
嫌な言葉だな
と、ふと思った