朝からはギラギラ
厳しい残暑が続きます
湯島天神の授与所と梅園を
そして拝殿前も横切り
三十八段の石段坂の男坂へ
江戸時代の書物「御府内備考」によると
湯島天神参拝のための坂であったが
後に本郷から上野広小路に抜ける通り道にもなったとも
そのように愛用しています
柳井堂・心城院(通称 湯島聖天)
元禄7年(1694年)、宥海によって開山
宥海は、湯島神社(現湯島天満宮)の別当寺だった
「北野山梅園寺喜見院」の第三世・大僧都で
菅原道真と縁が深い大聖歓喜天を安置する小堂
「宝珠弁財天堂」を創建したのが起源とされ
本尊の大聖歓喜天の像は
比叡山から勧請した慈覚大師円仁の作と伝えられているそうです
享保期には寺門維持のため幕府から「富くじ」が発行され
谷中感応寺(現・天王寺)、瀧泉寺(目黒不動)とともに
「江戸の三富」と称され、庶民に親しまれて賑わったそうです
明治の神仏分離により、「喜見院」は廃寺となり
湯島神社との関係も断ち切られ
「宝珠弁財天堂」を「心城院」と改称
天台宗に属する寺となったそうです
江戸名水の一つ「柳の井戸」があることから
柳井堂とも称され
また聖天を祀っていることから湯島聖天とも称されています
江戸三十三観音霊場7番札所にあたるそうです
院号は、 心城院
ご住所は、 文京区湯島3-32-4
ご本尊は、 大聖歓喜天
宗派は、 天台宗
参拝