宮城の交差点から隅田川を渡り、豊島五丁目団地の横を抜け
王子神谷方向へ紀州通りを歩く
紀州神社
2本の鳥居が通りに面して立っている
手前1つ目の鳥居をくぐると、拝殿横に
趣きのある本殿も奥に見えます
一度通りに戻り
奥2本目、紀州神社拝殿前の鳥居より、再び
鳥居下には手水舎があり
狛犬さん
紀州神社拝殿は、紀州通りに面した鳥居より拝殿までがとても近い
通り拡張時に、境内が削られたのだろうか
紀州神社は、北区豊島にある神社
元亨年間(1321年~1324年)に紀州熊野から王子村に移住して来た鈴木重尚が
当地の領主であった豊島氏と諮り、紀州・伊太祁曽神社を
王子神社境内に勧請・奉斎したのが創建とされています
旧豊島村の方が開村時期が古く、王子村は豊島村の拡大により分離したといい
元は一つの集落であったという説もあるそうです
天正年間(1573年~1592年)に豊島村と王子村の間に水争いに起因する争論が起こり
豊島村の産土神を王子村に置かれているのを問題視した村民によって
豊島村の小名宮ノ前(現・豊島5丁目付近)に遷座
更に小名馬場(現・豊島8丁目、豊島馬場遺跡公園付近)に遷座
を経て現在地(現在・豊島7丁目)へ遷座したそうです
ご祀神は、 五十猛命、大屋津姫命、柧津姫命
境内社に、 事比羅神社、三峯神社
ご住所は、 北区豊島7-15-5
参拝
紀州神社参拝後、ふたたび王子神谷方面へを再開
東京成徳大学付属中高を過ぎスーパーサミット王子店の敷地内に
通りに背を向ける形で白龍神社が鎮座していることに気が付く
一の鳥居と扁額
白龍神社は、北区王子にある神社
白羊鉛筆の創業者の父が、滋賀県から北海道へ移る際に
屋敷神として祀っていたものを持参して祀り続けてきた社だそうで
昭和25年(1950年)に白羊鉛筆㈱を設立すると、会社の敷地に祀り
平成5年(1993年)白羊鉛筆を閉じて㈱ベネフォームへ移行する際に
現在地に遷し・社殿を修復・新装し外部に開放したそうです
朱色の二の鳥居、そして社殿は朱色の覆屋に覆われています
ご祀神は、 白龍大明神、黄龍明神、青龍明神、大山大神、一位大神
ご住所は、 北区王子6-9
参拝
参拝後、北本通り下の王子神谷駅より
南北線に乗り赤羽に向かう