前回通り抜けた豪徳寺門前より、松の木立の中へあしあと

 

豪徳寺山門の前に着く、門脇に都史跡「井伊直弼墓」の石柱カメラ

 

山門をくぐり境内へ、その前に!

立派な獅子の香炉びっくり

 

香炉の左側、三重塔キラキラ平成(2006年)に建てられたそうだウインク

 

山号「大谿山」の扁額が掲げられた仏殿に突き当たるびっくり

 

仏殿前を左折、招き猫のブロンズ像が立つ招福殿キラキラ

門をくぐるのは後ほど・・・てへぺろ

 

更に進んだ、豪徳寺境内の南西に!

彦根藩主井伊家墓所(豪徳寺井伊家墓所)

 

彦根藩二代目藩主 井伊直孝公墓所お願い

諸説あるようですが・・・!?

「井伊家二代目藩主直孝が鷹狩りの折

住職の愛猫「たま」の招きで落雷の難を逃れたという話」が
幸運を招く「招き猫」の元祖と豪徳寺ではされていますキラキラ
また、豪徳寺の名は井伊直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」から

取ってものだとか・・・びっくり

 

更に墓所奥南西に!

彦根藩十三代目藩主(十五代?) 井伊直弼公墓所お願い

井伊直弼は、彦根藩主井伊直中の14男として生まれ赤ちゃん

兄弟が多く、庶子(正室ではない女性から生まれた子供)だったこともありガーン

家督を継げる見込みもなくもやもや自らを花の咲くことのない埋もれ木に例え

「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けた邸宅に暮らしていましたうずまき

 

直弼の兄で藩主井伊直亮やその後継者が死去ガーン
直弼以外の兄弟は他家に養子に出されていたため

嘉永3年(1850年)直弼が彦根藩主となることにてへぺろ

 

就任後は領内を視察し、生活が苦しい者には食料を与え

病気の者は医師の診察を受けさせるなど領民を思いやる政治を行い
「領民に対する憐みの心を持った名君である」と評価キラキラ

後に安政の大獄で死罪となる吉田松陰が藩主就任当時

藩政改革を行った直弼を「名君」と評しているほどびっくり

 

藩政改革に成功した頃、日本を揺るがす大事件ペリー来航アセアセ

日本の開国・近代化のため江戸幕府の大老に

天皇の勅許がないまま日米修好通商条約に調印!

第13代将軍徳川家定の将軍継嗣問題、南紀派徳川家茂に!

強権をもって国内の反対勢力を粛清する安政の大獄!

 

このような直弼の強引な政策はプンプン

尊王攘夷派などの反対勢力から強い反感ムキーを買い

その反動を受けて暗殺されることに

それが桜田門外の変ナイフ

 

その後家督相続にあたり、反直弼派であった旧一橋派が幕府政権を握りアセアセ

彼らは直弼の政治を咎めバツレッド

文久2年(1862年)彦根藩は10万石減封されガーン

預かり地5万石も没収されたそうですもやもや

 

「開国を決断した英雄か?」それとも「安政の大獄を断行した独裁者か?
決断の結果、直弼に対する歴史の評価は両極端アセアセ

波乱に満ちた生涯でしたねびっくり

 

なお平成20年(2008年)に、井伊家墓所は国史跡に指定されたそうですうずまき