田端の住宅街を八幡坂を下る
坂下に
上田端八幡神そして一の鳥居が
12月上旬、銀杏は黄金色
石段を上ると二の鳥居
上田端八幡神社は、北区田端にある八幡神社
鎌倉幕府が奥州藤原氏を滅ぼした後
この地の豪族豊島氏を奥州奉行に任じたことから
その戦勝の紀基として鎌倉鶴ケ岡八幡宮を
この地に勧請したといわれています
現在の田端は、かって田端村と呼ばれ
村内は上田端と下田端という二つにわかれていました
各々の地域鎮守として八幡神社がまつられ
こちらの八幡神社は上田端住民の鎮守として
大龍寺が別当寺と勤めたそうです
また、境内社の白髭神社は
現在の田端中学校の敷地内にあった神社で
その付近の畑の中には、「争いの杉」と呼ばれる神木があったそうです
木の高さは二丈五尺余、幹の太さは九尺位
遠くから望むと松の木にも見えたといわれます
一説には、そこで奥州平泉に逃れた源義経を討伐に向かう途中の畠山重忠が
これを見て家来と松の木か杉の木かと争ったという伝承があり
「争いの杉」という名称で呼ばれるようになったともいわれているそうです
狛犬さん
狛犬さん裏に手水鉢
ご祀神は、 品陀別命(応神天皇)
相殿には、 猿田彦命
境内社に、 白髭神社、稲荷神社、大山祗神社
ご住所は、 北区田端4-18-1
参拝
拝殿裏には、本殿が
本殿横には、白髭神社など境内社が・・・