於岩稲荷田宮神社神社より

車外苑東通り、そして大京町の裏路地を抜け車外苑西通りへと出るうずまき

 

下矢印ここのすぐ近くに出てきました口笛

 

西通りを横切り内藤町の路地へあしあと

 

 

駿馬塚?

 

境内へとあしあと、緑に覆われた参道が奥へ続くうずまき

 

石鳥居神社と扁額

 

手水舎

 

社殿前へうずまき

 

境内社の稲荷神社

相殿として八幡大菩薩、大黒天、弁財天も祀られているようだびっくり

 

駿馬塚

内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑だそうで

 


徳川家康が江戸入府後!

家臣の内藤清成(後に関東総奉行・江戸町奉行・老中などを歴任)を呼び

現在の新宿御苑一帯を示し

「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と言ったそうで


すると清成の乗った駿馬は

南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走りダッシュ

疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられている!?

事実、天正18年(1590年)に家康より

現・新宿御苑周辺の20万余坪にも及ぶ広大な土地を拝領びっくり

(実際は江戸移封の折、鉄砲隊を率いて江戸入りの先陣を務めた功とも!?


後に内藤家の森林管理役となった中家休昌と木下正敷が

文化13年(1816年)に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬塚の碑を建てたそうで
碑はその後、明治5年(1872年)に現在地へと移されたそうですびっくり

 

 

多武峯内藤神社は、新宿区内藤町にある神社神社

内藤清成がこの辺りに土地を拝領

慶長7年(1602年)屋敷内(現、新宿御苑)に

家祖とされる藤原鎌足を祀るための多武峯神社神社を創建したそうですキラキラ

明治に内藤家の屋敷地は官有地(新宿御苑)となり

明治16年(1883年)現在地へ遷座トラック

昭和42年(1967年)には多武峯内藤神社と改名されたそうですうずまき

 

御祀神は、    藤原鎌足公、天児屋根命、経津主命、武甕槌命、姫大神

境内社に、    稲荷神社、駿馬堂


ご住所は、    新宿区内藤町1-8

 

 

参拝お願い

 

参拝後、神社隣の児童公園に目

 

鉛筆の碑

鉛筆製造を始めた眞崎仁六

明治20年(1887年)、東京市四谷区内藤新宿(現在地)に

渋谷川脇に水車を動力とする工場「眞崎鉛筆製造所」をつくりました

何度か失敗を繰り返しましたがガーン

ついに「日本製鉛筆一号」を完成キラキラさせその後、工場は大井へ移転トラック

これが「三菱鉛筆株式会社」の始まりともされているそうです口笛