もんじゃストリートを突っ切りあしあと晴海通りまでやってきたうずまき

 

親水テラスからの眺め目

隅田川の対岸は築地市場跡!

新橋・汐留ビル群の先には東京タワーも!

 

振り返ると勝鬨橋キラキラ

平成30年(2018年)に環状2号線の築地大橋が開通するまでは

隅田川の一番下流に架かる橋でしたてへぺろ

日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)でありましたがアセアセ

航行する大型船舶がなくなったことや交通量の著しい増加などの理由で

昭和45年(1970年)11月29日を最後に開閉が停止ガーン

昭和55年(1980年)に雷電力供給が停止、可動部もロックされ

跳開することはなくなりましたもやもや

平成19年(2007年)に清洲橋・永代橋と共に勝鬨橋も

国の重要文化財に指定されましたグッ

 

「かちどきばし」の上部に信号機!?

 

橋梁の歩道上部に、4つの小屋が設けられており

それぞれ運転室、見張室、宿直室などとなっていたそうです

 

橋の両端部はアーチ橋となっており、中央部が上方に開く構造で

開く角度は最大70度、約70秒で全開になったそうですうずまき

また、片側だけ開く操作も可能だったそうですびっくり

 

橋の開閉部はヒンジ構造となっているため比較的揺れや振動が生じやすくガーン

その機構や特徴ゆえに勝鬨橋は

この規模の交通量の橋としては強度が弱いそうだショボーン

たしかに現在でも、通過する交通量により、不安に揺れていますびっくり

 

築地側の橋のたもとに、かつての変電所雷を改装したてへぺろ

「かちどき橋の資料館」

 

その前には「海軍経理学校」の碑

 

そして「かちどきの渡し」の碑

 

勝鬨の渡しは、現在の勝鬨橋よりやや下流にあったそうで

明治38年(1905年)当時の京橋区役所が海幸橋と月島を結ぶ

渡船を創設、無料の手漕ぎ渡船だったそうですうずまき

 

また日露戦争の旅順陥落炎直後で

その勝利を記念して海軍の発祥地でもある築地に「勝鬨の碑」を建設キラキラ

さらに渡船も「勝鬨の渡し」と命名されたそうですうずまき

 

後に経営が東京市に移管され

大正4年(1915年)には乗船客の増加に汽船に格上げ!

月島の工場に通勤する労働者に多く利用されましたが

昭和15年(1940年)勝鬨橋の架橋に伴い

役目を終え、廃止されたそうですうずまき