神出鬼没な2月初旬のこと
また所用で、文京区関口にやってきた
冬晴れの
東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)
目白通りを目白方面へ少々
通り沿いに講談社野間記念館
角を曲がり、蕉雨園(田中光顕旧邸)や
永青文庫(旧細川藩下屋敷)の間を
そして、胸突坂またの名を水神坂へ
振り返る
坂と言うよりは、ほぼ階段
自転車で下るのは難しいそうだ
神田川にかかる、駒塚橋より
椿山荘(山形有朋旧邸)を
そして関口芭蕉庵
松尾芭蕉が二度目に江戸に入った後に請け負った
神田上水の改修工事の際
延宝5年(1677年)から延宝8年(1680年)までの約4年間
この辺りにあった「竜隠庵」と呼ばれた
水番屋に住んだといわれているそうです
その後、松尾芭蕉やその弟子らの像などを祀った建物が敷地に作られ
「竜隠庵」はいつしか人々から
「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになったそうです