麹町太田姫稲荷神社神社から永田町方面へあしあと

 

近くの大学で模試or推薦入試だろうか!?

親子づれの学生が多数あしあと

 

 

さて、平川天満宮神社にやってきましたうずまき

 

鳥居をくぐり右手は三殿宮神社

大鳥神社 ご祀神は 日本武尊命(やまとたけるのみこと)
塩神社  ご祀神は 豊斟渟神(とよくむぬのかみ)
浅間神社 ご祀神は 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

を祀っているそうです口笛

 

左手、平河稲荷神社神社参道との分岐点に置かれている1基の石牛=撫牛キラキラ

奉納された嘉永5年(1852年)が、菅原道真の950年遠忌にあたり

平河天満宮でも居開帳が行なわれ、石牛が一対奉納されたそうです

しかし、片方の石牛は明治5年までの間に失われ、1基のみ現存ガーン

 

平河稲荷神社の鳥居神社の奥へあしあと


「百度石」

高橋丈鯉が制作したものを
嘉永5年(1852年)2月に鮫ヶ橋の岸岡仙太郎ら

67名が奉納したものだそうですうずまき

 

「力石」、右「筆塚」

 

平河稲荷神社神社

 

参拝お願い

 

本殿への参道へ戻るあしあと

 

手水舎

 

 

平川天満宮社殿

 

創建は文明10年(1478年)江戸城城主太田道灌が

菅原道真の霊夢により城内の梅林坂上に創建キラキラ

天正18年(1590年)徳川家康が江戸入城後

本丸築造に当たり平川門外に遷座トラック

さらに慶長11年(1606年)徳川秀忠の江戸城増築に伴い現在地に遷座トラック

紀州尾張両徳川家、彦根藩井伊家の祈願所になり

新年の賀礼には、宮司は将軍に単独拝謁できる待遇を受けていたそうですびっくり



蘭学者・高野長英の大観堂学塾が平河天満宮のすぐ裏手にあったそうで

高野長英はよく参拝お願いに訪れたそうです

また、盲目の国学者・塙保己一も平河天満宮を熱心に参拝お願い

『群書類従』を完成させたそうです

己一の住まいの和学講習所は、現在の千代田区三番町辺りにあったそうです

 

ご祀神は
菅原道真・誉田別命・徳川家康

 

参拝お願い

 

参拝後、社務所にて書置きの御朱印いただきましたお願い