赤坂の路地裏を迷いウロウロ![]()
氷川坂を上りたどり着いたのは
赤坂氷川神社![]()
東側の参道より境内へ![]()
四合稲荷![]()
明治31年(1898年)に近くに鎮座していた
古呂故稲荷(ころこいなり)・地頭稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の
4社を合祀その際、 勝海舟により
「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ
四合稲荷(しあわせいなり)と名付けられたそうです
南側からの参道との交差点
赤坂氷川神社のご由緒と東京十社の案内板
天暦5年(951年)蓮林僧正が現在赤坂に
社殿を建てお祀りをしたことにはじまり
享保15年(1730年)に紀州藩中屋敷が赤坂にあったこともあり
第8代将軍に就任した徳川吉宗の命により現在地に遷され
現在の社殿はこの時に造営されたものだそうです
江戸幕府による尊信は厚く
14代将軍家茂まで歴代将軍の朱印状が下付されたそうです
赤坂氷川神社![]()
ご祀神は
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大己貴命 (おおなむぢのみこと)(別名/大国主命)
ご利益は
厄除 縁結び 家内安全 商売繁昌
だそうです
参拝、参拝![]()
御朱印いただきました![]()
複数境内社があり
山口稲荷![]()
終戦後に赤坂3丁目にあった山口邸から遷された神社
鳥居や水盤、狛犬の台座から
江戸時代を通じて信仰を集めていたようです
九神社![]()
天祖神社・春日神社・鹿島神社・八幡神社・諏訪神社
秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社
の9社を合祀
したものだそうです![]()
力石![]()
江戸から明治まで力石を用いた力試しが盛んに行われ![]()
境内の土中から発見された力石には
「三拾五貫目」(約130kg)
と刻まれているそうです![]()
南側参道より、赤坂氷川神社を後にしたのでした![]()
表通りに面していないため静かな趣の社でした![]()














