白髭橋西詰、明治通りを横切り
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石浜城址公園
この付近に武蔵国と下総国の境目をつなぐ「隅田の渡し」があったとされ
石浜城の築城年代は不明、中世には江戸氏一族の石浜氏が本拠を構え
南北朝時代の文和元年(1352年)には、
新田義興の追撃を足利尊氏がこの地で退けている(武蔵野合戦だ)そうです
千葉氏宗家の生き残りである千葉実胤が下総国を追われて
扇谷上杉氏の庇護下に入り、この石浜城を拠点とした
弟の自胤も赤塚城に逃れている
しかし、下総回復は達成できず、扇谷上杉の没落後は後北条氏に従い
豊臣秀吉による天正18年(1590年)小田原征伐によって没落
石浜城も廃城となった。そうです
春の日差しと青い空
桜が賑やかです