山谷掘公園からふたたび浅草地区へ
合力稲荷神社に遭遇
合力稲荷神社は、永禄年間(1558年-1569年)に、当時の山谷村に住んでいた
小作人らが郷の鎮守として奉斎したのがはじまりと伝えられているそうです
境内の入口付近に頑丈そうな「力石」
江戸時代に寺社の祭礼などで力比べに使われた石と伝わり、
持ち上げた人物「卯之助」名が刻まれている
三ノ宮卯之助(1807年~54年)は、現在の埼玉県越谷市出身
江戸時代後期に「日本一の力持ち」と称されて
各地で力比べの興行をしたそうです
卯之助が持ち上げたとされる力石は、
越谷や浅草をはじめ横浜や大阪、兵庫など
全国で約40個近く確認されているそうです
また、寛文3年(1663年)四代将軍徳川家綱の日光社参の際に
御乗馬の名馬【荒波】が千住宿にて死亡
依って馬頭観音も合祀されたそうで・・・
将軍愛馬を祀る縁により敷地60坪の年貢は免除されたそうです
日本堤の土手下に有り「土手のお稲荷さん」として
江戸時代より現在に至るまで人々に祭られているそうです
ご祀神は、 保食命 (ウケモチノカミ)
ご住所は、 台東区浅草6-42-8
参拝、参拝