小伝馬町交差点にやってきた
何の因果が付き合いのある、滋賀銀行東京支店
よくある地方銀行、財務省や日本銀行対応のための支店だろうか
さて、水天宮方面に歩いたビルの隙間、神社らしきものが・・・
見えたので奥へ
椙森神社 東側入口
境内には、朝早くから七福神巡りの先客が数名
椙森神社西側の入り口
手水舎と富塚
江戸時代に椙野森神社で行われていた富くじをしのんで
大正8年(1919年)に建てられたもので、
現在のものは昭和28年(1953年)の再建だそうです
江戸時代、たくさんの参拝客が集まる椙野森神社では富くじ興行が開催されて、
その内の一枚が今も神社に保存されているそうです
神社に残る富札は天保7年(1836年)幸手不動院(埼玉)の修造費用のために
椙森神社で興行した際のものだそうです
御祀神は、
倉稲魂神(うがのみたま)、素戔嗚神(すさのう)、
大市姫神(おおいちひめ)、大巳貴神(おおなむち)、
そして四大神
相殿として、恵比寿様
武蔵野がまだ野原の時代に創建され
天慶3年(940年)田原藤太秀郷(藤原秀郷)が、平将門の乱をしずめる為、
戦勝を祈願した神社と言われています。
藤原秀郷はその後、願望成就のお礼として白銀の狐像を奉納したそうで、
その狐像は今も神社に現存しているそうです
文正元年(1466年)には、江戸城を築城した太田道灌が、
旱魃で困る領民のため雨乞い祈願をしたところ、
見事に雨が降り出したことから
山城国稲荷山五社大神をこちらの神社へ移してお祀りしたそうです
江戸時代には江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、
庶民だけでなく松平信綱や松平頼隆といった諸大名からも
崇敬を集めるようになったそうです
また、1660年代(寛文年間)に、神道家である吉川惟足が恵比寿様を祀り、
いつしか、日本橋七福神のひとつに数えられるようになりました
せっかくなので
参拝、参拝