数多くの有名人が眠る谷中霊園より、東側を振り返ると
東京スカイツリーよく見える
そして霊園西側と住宅街の境界辺りにある
幸田露伴寓居跡
この場所に幸田露伴は、明治24年(1891年)から約2年間ほど住んでおり、
露伴は日々この家から谷中の五重塔を眺めていたようです。
そして、天王寺五重塔をモデルに『五重塔』を執筆したそうです。
付近をぶらぶら散歩していると
長安寺に突き当たる
台東区谷中にある臨済宗妙心寺派の禅寺、長安寺。
江戸で最古の七福神巡りという「谷中七福神」の寿老人を祀っています
長安寺の寿老人像は徳川家康の寄進と伝えられる等身大の寄木彫刻で、
左脇に鹿を従えた座像だそうです。(今回は拝見できませんでした)
江戸時代、文人墨客の清遊の地だった谷中
早春には、梅花にたわむれる鶯の名所で、行脚の老翁が、
谷中に留まって長安軒と名付ける小さな堂を建立したのが始まりといわれています。
寛文9年(1669年)に、曹洞宗の僧・老山が長安軒に泊まって、
この老翁から堂を引き継いで、長安寺を開山したと伝えられ、
後に、臨済宗に改宗したそうです
また、本堂前に「狩野芳崖翁碑」が立ち、
寺墓地には、狩野芳崖と妻の墓もあります。
狩野芳崖は、狩野派最後となる絵師で
明治15年(1882年)、アメリカ人の美術史家フェノロサとの出会い、
西洋絵画の写実や空間表現を取り入れた日本画を描くようになりました。
そして、上野公園の東京美術学校(現・東京芸術大学)の創立にも尽力しました
かなり、逆光&ピンぼけ
長安寺前の初音通りから脇道に入ると
観音寺南側に約40m、高さ約2mほどの塀に遭遇
瓦と粘土を交互に積み重ねて築いた土塀で「築地塀」というそうです
江戸時代のお屋敷や寺院では多く採用されていた
伝統的な建築様式ですが・・・・
現在残っているものは数少ないそうです
通りに戻り歩くと
人で賑わう谷中銀座商店街に通じる
「夕やけだんだん」に到着ました