両国小学校学校から両国公園へ足

 

ここ両国公園は

「勝海舟誕生の地」キラキラにあたるそうです。

 

勝海舟は文政6年(1823年)に、
ここ両国公園(旧本所亀沢)の父、勝小吉の実家である男谷家に生まれ、
幼名・通称は麟太郎。

勝海舟の祖父にあたる、男谷平蔵が三男の小吉にも幕臣旗本株を買い、

それが(無役40俵取の小普請組の)勝家で、小吉は勝家の当主となります。

その後も男谷家に勝家を同居させていたため、

男谷家の家で海舟は生まれましたキラキラ

そして7歳のころ、本所入江町(現在の緑)に引っ越したトラックそうで

海舟は幼少期を両国界隈で過ごしたようですうずまき

 

 


幕末、幕府の軍艦奉行として活躍キラキラし、

近代日本の海軍の礎を築くこととなる勝海舟うずまき

 

明治32年(1899年)に赤坂氷川町でなくなるまで、

蘭学を修め、西洋の兵学、砲術、航海、測量法などを学びましたうずまき

 

公園内、勝海舟幕末絵巻キラキラ

安政7年(1860年)1月、咸臨丸艦長として

日本人の手による初の太平洋横断の快挙をなしとげましたキラキラ

 

実際、、、

渡米の際、日本人乗組員はガーン船酔いのためにほとんど役に立たず、

アメリカ海軍ブルック大尉らがいなければ

渡米できなかったという説もありますが・・もやもや

日本へ帰国する際は、日本人の手だけで帰国することができたようですキラキラ

 

慶応4年(1868年)3月、高輪の薩摩藩邸において西郷隆盛と会見、

江戸城無血開城に成功し、江戸市民を戦禍から救いましたキラキラ

 

そして、明治政府にも重用され、

参謀兼海軍卿・元老院議官などを務め、伯爵までなりました。

波瀾に満ちた75年間を送ることになりますうずまき