電車地下鉄稲荷町駅エレベーターとパトカー交番の間にある

講道館柔道発祥の地キラキラ


明治15年(1882年), 講道館柔道の創始者 嘉納治五郎が 

友人や門弟とともに稽古をはじめたところが, 

ここ下谷永昌寺の書院だったそうです。 
道場となった書院の広さは12畳ほどで, 

開始時の門弟は9人だったそうです!! びっくり
 

 

嘉納はまた、国際オリンピック委員会の要請により

東洋初のオリンピック委員に就就き

また大日本体育協会(のちの日本体育協会、現・日本スポーツ協会)を創設するなど、

国内外において体育の発展に尽力しましたキラキラ


東京高等師範学校長時代には体操科を設置し、

青少年の身体を通しての教育のために体育指導者養成をはかりました。

 このようなことから「日本体育の父」ともいわれているそうです。
 

 

嘉納は生涯において13回ほど船外遊したそうですが、

その都度、柔道の講演、実演をして

その紹介と普及につとめたそうですびっくり

 

 

1964年(昭和39年)の東京オリンピックで柔道は

初めて正式競技に採用されてましたキラキラ

柔道は精神が身体の動きを制する、高度な規律に基づくスポーツ、

そして、個々人の教育に寄与するスポーツとして
世界各国に普及し国際的な広がりを持つことになるわけです


 

 

もともと永昌寺は,浄土宗で 永禄元年(1558) 下谷長者町に創建され, 

寛永14年(1637年)ここにトラック移転したそうです。

しかし、大正12年(1923年)の関東大震災炎により 

当時の建物は焼失しまったそうです。

 

発祥の地案内板奥にある脇門下矢印

 

本堂を正面に見る目

おそらく、こちらが正門? 下矢印

 

 

講道館柔道の発祥とされているこの場所で
明治15年(1882年)夏, 当時の住職の協力を得て, 

玄関脇の空地に,12畳のバラック建て道場を新築したがびっくり

明治16年(1883年)神田にトラック移転したそうです。

 

境内の「講道館柔道発祥之地」と刻む自然石の記念碑,

昭和43年(1968年)に, 嘉納治五郎 没後30周年を記念して, 講道館が建立したものだそうです。