隅田川を越え、両国にランニング

の看板が目についたジビエ料理(猪料理)で有名な!!

「ももんじや」さん

 

明治の文明開化以前、

日本では表向き肉食忌避がありましたうずまきそのため・・・えー

猪肉を山鯨(やまくじら)、鶏肉を柏(かしわ)

と称し薬として食していたそうです。

また、猪肉を「牡丹」、鹿肉を「紅葉」と称する、

花札の絵柄より由来する隠語もあります口笛

 

また、江戸時代彦根藩では全国で唯一牛肉の味噌漬けが作られ、

滋養をつける薬として幕府(将軍)に献上

までされていたそうですびっくり

 

店の横には、猪のはく製!?毛皮!?がつるされており

インパクト!!あります。

その横を毎日見慣れているからでしょうか?

何事もなく保育園の子供たちが歩いて行きましたうずまき

 

 

さて、私も

そのイノシシさんの横を抜け、京葉道路を回向院ランニング進む

 

回向院参道横に、旧両国国技館の案内板キラキラ

そして相撲との関わりについても鉛筆

 

もともと回向院正面入り口は炎東京大空襲前、

西向き(今は北向き)現在の両国幼稚園キャップ付近

(両国橋から目見える場所)にあったそうですうずまき

 

 

 

江戸時代の明和5年(1768年)以降に、回向院境内で勧進相撲が興行され、

これが大相撲の起源キラキラとも言われています。

明治42年(1909年)旧両国国技館が建てられます、

国技館建設までの時代の相撲を指して「回向院相撲」と呼ぶこともあるそうです。

 

昭和11年(1936年)に大日本相撲協会が

物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」を建立したそうです。

 

あと、有名なお墓があります

今回の目的の一つキラキラ

 

鼠小僧のお墓

 

鼠小僧は江戸時代(化政期)のドロボー。

鼠小僧次郎吉としても知られていますニコニコ

本業は鳶職であったとも。

大名屋敷のみを狙って盗みに入りびっくり

貧しい人達にそれを施したとされる!?事から、

後世に義賊として伝説化されたそうです。

 

実際の所、大名屋敷を専門に狙った理由は、

敷地面積が非常に広く一旦中に入れば警備が手薄であったパトカー

男性が住んでいる表と女性が住んでいる奥と区別され、

金がある奥で目発見されても女性ばかりで逃亡しやすい!!

ということも挙げられています。

 

町人長屋に大金は無くアセアセ、商家は逆にコインたち大金があってもパトカー警備が厳重ハッ

しかし、大名屋敷は幕府に謀反の疑いを幕府かけられないよう

警備を厳重に出来なかった・・・口笛ものと考えられ、

またカブト武家は面子と体面を守るため

被害が発覚しても公にしにくいショボーンという事情もあったようです。

 

いつの頃からか鼠小僧の墓石のかけらを持っているとびっくり

「賭け事に勝つ」「運がつく」など、

受験生などには「するりと入れる」

ご利益キラキラがあるといわれるようになりましたお願い

そのため墓石を欠き取る人が後を絶えなかったそうで、

現在墓前に欠き取り用の墓石が置かれていますが・・・

これまた見事に削られていました カメラ

 

参道にひっそりと咲いていた彼岸花

秋分も過ぎてしまいましたアセアセ