東京駅にやってきた
東京メトロ&JR
の景品交換
JRガード沿いはとバス乗り場を横目に
東京国際フォーラムを抜け
有楽町駅イトシア前へ
地下街へ降りるエスカレーター裏にある
南町奉行所跡
江戸の町を南・北町奉行所の輪番で担当。
(北町奉行所のあった場所は、
現在の東京駅 八重洲北口 鋼管ビル付近)
江戸南町奉行といえば「大岡越前守忠相」
(享保2年(1717年) - 元文元年(1736年)在任)
なら加藤剛もしくは東山紀之
享保二年(1717年)に江戸南町奉行に着任し
名奉行&政治家としての手腕を発揮。
元文元年(1736年)には寺社奉行となり、
寛延元年(1748年)には、一万石の大名にまでなりました。
地下街にある、奉行所の穴倉
なぜか立てて展示されてます。
時代劇で「遠山の金さん」で有名な
江戸北町奉行「遠山左衛門尉景元」
(天保11年(1840年) - 天保14年(1843年)在任)
その頃の南町奉行は、金さんの敵役として出てくる
老中水野忠邦による「天保の改革」の真っただ中
忠実に市民を取り締まり、かつ洋学(蘭学)嫌い
江戸町民から嫌われ「鳥居の妖怪」とまで言われた
「鳥居甲斐守忠耀」
(天保12年(1841年) - 天保15年(1844年)在任)
水野を裏切った鳥居も、結局は失脚・・・
その後「遠山左衛門尉景元」は
(弘化2年(1845年)- 嘉永5年(1852年)在任)
なんと江戸南町奉行に返り咲きました。
江戸北町奉行・南町奉行の
両職に就任したのは
「遠山の金さん」だけ
になるそうです。
でも、嘉永5年まで在任てことは
ペリー来航が嘉永6年だから
「金さん」て、結構近代の人だったのですね。