大江戸散策徒然噺 -2ページ目

大江戸散策徒然噺

大都市の中のお江戸の名残りを紹介します。江戸時代260年にまつわる日本全国の歴史散策をお楽しみください。

自宅至近に流れる荒川を渡ると隣区の江戸川区です。わが町、江東区と共に都内では湾岸(ベイエリア)と呼ばれる地域が江戸川区なのです。


葛西橋を渡り対岸江戸川区側の荒川河岸のサイクリングロードを約1kmほど走ると、荒川が東京湾に流れ込む河口に到着です。河口からは荒川大橋や江東区側の新砂地区と若洲、さらに今人気の恐竜橋として知られるベイブリッジを望むことができます。


サイクリングロードは荒川河口付近で大きく左へとカーブし、葛西臨海公園の中心へとつづいています。

サイクリングロード左手には葛西臨海公園のランドマークとも言える「大観覧車」が圧倒的な迫力で聳えたっています。


大江戸散策徒然噺 大観覧車


日本最大の観覧車で直径111m、高さ117mを誇っています。その大観覧車の真下から夏の陽射しに照らされ、シルエットとなって浮かび上がる様子が下の画像です。
※利用料金は3歳以上の一般の方々は一人700円。所要時間は17分間。


大江戸散策徒然噺 大観覧車


大観覧車から東京湾に面した「渚」へ向かうことにします。そもそも臨海ということで、公園自体はほぼ海(東京湾)に面しているのですが、渚へとつづく葛西渚橋を渡って「西なぎさ」の波打ち際へと行ってみました。


大江戸散策徒然噺 渚橋
大江戸散策徒然噺 渚橋


夏の盛りには多くの人が渚で水遊びをしているのですが、9月の中旬ともなると人影もなく、海鳥だけが渚で戯れている姿しかありません。


大江戸散策徒然噺 西なぎさ


西なぎさから再び臨海公園へと戻り、臨海水族館方面へと移動し、東側の広大なエリアを占める緑豊かな鳥類園へと向かいます。まるで原生林のようにうっそうとした木々で覆われている鳥類園を一周するように1本の遊歩道がどこまでもつづいています。遊歩道の脇に秋を思わせるススキの穂が海風に揺れています。


大江戸散策徒然噺 臨海水族館のウォーターウォール

大江戸散策徒然噺 臨海水族館外観

大江戸散策徒然噺 すすきの穂

遊歩道にそっていたるところに野鳥を観察できる場所が設置されています。日が高い時間帯のためか、野鳥が餌を啄ばむ光景は見ることができませんでしたが、朝夕には数多くの種類の鳥たちが羽を休めているのではないでしょうか。


大江戸散策徒然噺 野鳥観察センター
大江戸散策徒然噺 野鳥観察場所
大江戸散策徒然噺 野鳥園俯瞰
大江戸散策徒然噺 野鳥園の湿地帯

野鳥園の一番東端は千葉の浦安の舞浜に隣接しています。舞浜と言えば東京ディズニーランドです。川を挟んで対岸にはディズニーランドの各施設やホテル群が建ち並んでいます。


大江戸散策徒然噺 対岸舞浜の景
大江戸散策徒然噺 舞浜のホテル群

江東区のお台場とは趣が異なる江戸川区のベイエリアは自然に溢れた東京の一大リゾート地ではないでしょうか。


http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index026.html


秋・9月、10月、11月の歴史散策コースの日程を発表しました!

大江戸散策徒然噺

箱根駅伝の3区に含まれる遊行寺坂がいよいよ始まります。両側がまるで切通しのような崖になっていて、だらだらと下り坂がつづきます。遊行寺坂一里塚の案内板を過ぎると、遊行寺はもう目と鼻の先です。


大江戸散策徒然噺 遊行寺坂


その遊行寺と敷地を同じくする塔頭寺院でもある長生院への近道が遊行寺坂の途中に細い石段となって現れます。というのも遊行寺坂を下りきって遊行寺の総門へと向かうのもいいのですが、そこまで行ってしまうと長生院に行くために長い坂道を再び登らなければなりません。そうであれば長生院を先に見てしまう方法としてこの細い石段を上ってしまったほうが得策といえます。



大江戸散策徒然噺

大江戸散策徒然噺 長生院・小栗堂


石段を上ると長生院の墓地に入ります。墓地の中の道をほんの僅か進むと長生院の小栗堂の正面に出てきます。長生院は浄瑠璃で名高い小栗判官照手姫ゆかりの寺です。応永29年(1422)常陸小栗の城主、判官満重が足利持氏に攻められて落城、その子判官助重が家臣11人と三河に逃げのびる途中、この藤沢で横山太郎に毒殺されかけたことがあります。このとき妓照手が助重らをのがし、一行は遊行上人に助けられました。その後、助重は家名を再興し、照手を妻に迎えました。助重の死後、照手は髪をそり長生尼と名のり、助重と家臣11人の墓を守り、余生を長生院で終わったといいます。


そんな照手姫と小栗判官十勇士の墓が小栗堂の裏手にひっそりと佇んでいます。


大江戸散策徒然噺 照手姫の墓

大江戸散策徒然噺 小栗判官と十勇士の墓
大江戸散策徒然噺 照手姫寄進の厄除地蔵尊

長生院から石段を下っていくと、右手には時宗・総本山の遊行寺の堂々とした姿の本堂が現れます。本堂の右手前には宗祖の一遍上人の銅像が立っています。


大江戸散策徒然噺 遊行寺本堂

大江戸散策徒然噺 一遍上人尊像


遊行寺は正式には清浄光寺が寺名ですが、遊行上人の寺ということから広く一般に遊行寺と呼ばれます。宗祖は一遍上人(1239~1289)で南無阿弥陀仏のお札をくばって各地を回り、修行された(遊行といいます)念仏の宗門です。この遊行寺は正中2年(1325)遊行四代呑海上人によって藤沢の地に開かれ、時宗の総本山となっています。


境内を進むと、鐘楼堂そして安政年間(1854~60)に建造された中雀門が現れます。清浄光寺(遊行寺は通称)は創建以来たびたび火災にあっていますが、この中雀門は明治13年(1880)の大火の際にも焼失を免れた、境内で一番古い建物です。大正12年(1923)の関東大震災でも焼失は免れましたが倒壊したものを、そのまま復元して今にいたっています。向唐門づくりで高さ6m、幅は3.7mです。


大江戸散策徒然噺 鐘楼堂
大江戸散策徒然噺 中雀門


中雀門の左手にある門から中へ入って行くと、寺務所、僧堂・受付・書院・遊行会館などがあり、左手には藤嶺記念館(宗務所)があります。遊行会館の前は日本庭園になっており、その中に放生池があります。


大江戸散策徒然噺 書院入口

大江戸散策徒然噺 書院入口の「遊行三昧」

江戸幕府の記録である「徳川実紀」元禄7年10月の日記によれば、 金魚、銀魚等を放生せんと思わば清浄光寺(遊行寺)道場の池へと命され、かつ放生の際は、その員数をしるし目付へ届出づべし」 と記録されています。古来より由緒あるこの池に金魚、鯉等を放生すれば、その功徳により家内の繁栄は勿論のこと長寿を保つとされています。ちなみにいここ遊行寺の放生池は江戸幕府五代将軍徳川綱吉の時代(1680~1709)に、生類憐れみの令によって、江戸中の金魚をあつめて放された所です。


大江戸散策徒然噺 放生池


階段混じりの石畳の参道を降っていきます。途中の右手には真浄院、左手には真徳院があります。並木が続く坂道を降っていくと、日本三大黒門のひとつにもなっている遊行寺の総門があります。右手の柱には「時宗総本山」、左手の柱には「清浄光寺」と書かれていて、「時宗総本山 遊行寺」と刻まれた大きな石柱も立っています。


大江戸散策徒然噺 境内の大銀杏


総門から出て正面に続く道を進んでいくと、往時の藤沢宿の絵図と日本三大広小路の解説文が掲示されています。この藤沢宿、すなわち旧街道は遊行寺の先に架かる赤い欄干の橋:大鋸橋(遊行寺橋)を渡り突き当りを右へ延びていきます。


大江戸散策徒然噺 石門

大江戸散策徒然噺 いろは坂
大江戸散策徒然噺 総門
大江戸散策徒然噺 総門脇の榜示杭

大江戸散策徒然噺 遊行寺の石柱
大江戸散策徒然噺 総門

大江戸散策徒然噺 日本三大広小路跡
大江戸散策徒然噺 赤い欄干の遊行寺橋

かつての藤沢宿で一番の賑わいを見せたのが前述の遊行寺橋を渡ってから右手へ向かう道筋だったようです。次回の藤沢から平塚への旅でこの藤沢宿の道筋を紹介したいと思います。


秋・9月、10月、11月の歴史散策コースの日程を発表しました!大江戸散策徒然噺

八坂神社前交差点を渡ると右角の歩道隅になにやら石柱が置かれています。道標だろうと近づいてみると古めかしい庚申塔が立っています。時折見る古めかしい石塔に街道を旅しているんだなあ、と一人感慨にふける瞬間です。


大江戸散策徒然噺 路傍に建つ庚申塔


庚申塔をあとに道を進んで行くと、大きくカーブした右手に現れるのが冨塚八幡宮です。国道1号線に面して鳥居が立ち、境内の奥に裏山の上に鎮座する社殿へつうじる長い石段をみることができます。


大江戸散策徒然噺 冨塚八幡宮鳥居
大江戸散策徒然噺 社殿へつづく石段

その石段の登り口の左脇に大きな句碑が置かれています。これが芭蕉翁の句碑なのですが、石面には「鎌倉を生きて出でけむ初松魚」と刻まれています。この句意は江戸っ子に珍重された初鰹(はつかつお)は鎌倉で水揚げされて、生きのいいまま戸塚を通り、江戸まで運ばれたようすを詠んだものです。


大江戸散策徒然噺 芭蕉句碑


冨塚八幡宮は平安時代、前九年の役平定のため源頼義・義家が奥州に下る途中、この地にて応神天皇と富属彦命の御神託を蒙り、其の加護により戦功を立てる事が出来たのに感謝をして、延久4年(1072)社殿を造り両祭神をお祀りしましたことが始まりです。


大江戸散策徒然噺 冨塚八幡宮拝殿


44段の石段を登りつめると正面に拝殿が現れます。拝殿の裏手には本殿が境内の木々の木漏れ日を浴びて輝いていました。


大江戸散策徒然噺 冨塚八幡宮本殿


そろそろJR戸塚駅から1キロ強の距離にさしかかります。予想通り、上方見附跡の案内柱が現れました。この上方見附を過ぎるといよいよ戸塚宿から西へ下る旅人を悩ました「大阪」の登り坂が始まります。


登り坂が始まるとすぐ右側に「第六天宮」の扁額が掲げられている鳥居が現れます。国道一号に面して比較的広い敷地を持つ神社ですが、どうも趣に欠ける雰囲気で敷地には一面に石盤が敷き詰められ陽射しを遮ることができるような木もありません。


大江戸散策徒然噺 第六天宮


この第六天宮を過ぎると、およそ1kmにわたってつづく標高差約40mの「大坂(おおさか)」の登り坂が始まります。戸塚宿を発って藤沢宿へ向かう旅人が、上方見附を過ぎていきなり出合う難所だったようです。


大江戸散策徒然噺 大坂一番坂


かつての東海道は今よりも道幅は狭く、勾配もかなりきつかったのではないでしょうか。このため戸塚宿の馬子や人足が副業で荷物や人を運んで手間賃を稼ぐ格好の場所だったのです。

登り坂を進んで行くと、路傍に七基の「庚申塔」が整然と並んでいます。ほんのちょっと街道らしさを感じる情景です。


大江戸散策徒然噺 七基の庚申塔
大江戸散策徒然噺 庚申塔

一番坂が終わる戸塚警察署下交差点を過ぎると、次に二番坂が始まります。二番坂を登って行くと大坂上信号が現れます。ここで道が二手に分かれます。それでは左手の道を進んでいくことにしましょう。


大江戸散策徒然噺 大坂二番坂


左手の道をしばらく進むと二番坂が終わる戸塚汲沢町歩道橋が見えてきます。この辺りから道路の真ん中に木々が茂る中央分離帯が始まります。以前はこの中央分離帯には街道らしい松並木が植えられていたようですが、現在では松の木はちらほらといった状況です。


大江戸散策徒然噺 中央分離帯


汲沢町歩道橋から道は緩やかな下り坂となり汲沢第二歩道橋へと下りていきます。そして汲沢第二歩道橋をすぎると歩道脇に現れるのが「東海道 お軽勘平戸塚山中道行の場」の記念碑です。


大江戸散策徒然噺 東海道 お軽勘平戸塚山中道行の場


それほど仰々しい記念碑ではないのですが、道路脇の狭いスペースに無理やり置いたような佇まいです。あまり手入れが行き届いていない様子で、スペース内は雑草で覆われています。


大江戸散策徒然噺 東海道 お軽勘平戸塚山中道行の場


「東海道 お軽勘平戸塚山中道行の場」の記念碑を過ぎると、やがて道は日本橋から46kmと表示された原宿第一歩道橋へとさしかかります。この歩道橋の先に吹上信号がありますので、ここで右側の歩道へと移動します。


吹上信号から下り坂の道を進むこと250mほどで浅間神社の鳥居前に到着です。鳥居をくぐり古木の並木がつづく緩やかな坂道を上って行くと境内へと至ります。その境内の奥に社殿が鎮座しています。浅間神社ということなので、あの浅間造りの社殿かと思いきやごく一般的な社殿だったのでがっかりした次第です。


大江戸散策徒然噺 浅間神社石柱
大江戸散策徒然噺 浅間神社鳥居
大江戸散策徒然噺 浅間神社参道
大江戸散策徒然噺 浅間神社社殿

浅間神社をあとに国道1号に沿って進んで行きます。浅間神社からおよそ500mで原宿の交差点です。この交差点を過ぎると道は中央に木々が植わる分離帯がしばらくつづきます。この区間は見るべきものもなく単調そのものです。


原宿信号から860mほど歩くと影取歩道橋東側の信号に到着します。ここで中央分離帯は終了します。ここから先420mほど行ったところの影取第二歩道橋までも単調な道程がつづきます。


影取第二歩道橋を過ぎると左手に諏訪神社が現れます。まあ、それほどの神社ではありません。


大江戸散策徒然噺 諏訪神社


諏訪神社を後にして国道1号をその先へ進んでいきます。左手に広がる畑地を過ぎていくと降り坂になってきます。 藤沢バイパスになっている国道1号は右手へ分かれていきますが、左手へとつづく旧東海道を進むと、藤沢バイパス出口の信号に到着です。


旧東海道は県道30号と名を変え、遊行寺坂方面へと進んで行きます。藤沢バイパス出口の信号から620mほど歩いたところに旧東海道松並木記念碑が現れます。江戸時代にはこの辺りは見事な松並木がつづき、広重が描いた東海道にも描かれたほどです。そんな往時を偲ぶようにここに記念碑が建てられています。


大江戸散策徒然噺 旧東海道松並木記念碑

大江戸散策徒然噺 旧東海道松並木記念碑


この旧東海道松並木記念碑を過ぎるとまもなく遊行寺の坂へとさしかかります。


其の三へつづく


秋・9月、10月、11月の歴史散策コースの日程を発表しました!

大江戸散策徒然噺

残暑厳しいこの日、これまでシリーズ化してきた東海道を下る旅を敢行しました。この日も気温30度超えが予想されていたので、歩き始めを少しでも早い時間にと考え、午前10時にはJR戸塚駅に到着しました。


午前中とはいえ、暑い陽射しが照り付けアスファルトからの照り返しが容赦なく目に飛び込んできます。覚悟は決めていたのですが藤沢宿までの7.8キロを踏破できるかほんの少し心配になってくるような猛暑です。


藤沢宿の江戸口見附は戸塚寄りにおよそ1キロほど行ったところなので、かつての戸塚宿の京口までは残すところ1キロ強といったところです。JR駅北口から旧東海道筋まではほんの僅かな距離です。旧道にでて藤沢方面へと足を進めるとすぐにJRの大きな踏切が現れます。踏切からは戸塚駅のホームがすぐそばまで迫っています。


大江戸散策徒然噺 戸塚のJR大踏切


踏切を渡ってほんの少し進むと、清源院前信号が現れます。この信号の角を右手へ折れ50mほど歩くと本日の最初の立ち寄り場所である清源院の山門が右手に構えています。


大江戸散策徒然噺 清源院山門


この清源院は家康公の側女として名高い「お万の方」とたいそう所縁のある寺院です。開基は家康公が亡くなった年である元和2年(1616)のことです。

この年(元和2年)、駿府で病に伏していた家康公を見舞ったお万の方は家康公よりたいへん貴重な阿弥陀像を賜ったと言われています。そして看病の甲斐なく家康公が亡くなると、お万の方は家康公より賜った阿弥陀像を安置するための寺を創建しようと寺地を探し求め、ここ戸塚へとやってきます。そしてお万の方はこの場所に適地を得て当寺を創建し、自らも尼となって開基となったのです。


大江戸散策徒然噺 清源院本堂


山門から緩やかな坂道をのぼっていくと左手に比較的新しい本堂がそれほど広くない境内の奥に構えています。その境内の隅に芭蕉の句碑「世の人の見つけぬ花や軒のくり」と、その句碑のすぐ隣に、この寺の井戸で心中した戸塚の薬屋大島屋亦四郎(またしろう)の子で18歳の清三郎と、同じ戸塚の伊勢屋清左衛門抱(かかえ)の飯盛(めしもり)で16歳のヤマの慰霊のための心中句碑が置かれています。


大江戸散策徒然噺 芭蕉句碑
大江戸散策徒然噺 心中句碑

※「世の人の見つけぬ花や軒のくり」の句意は
世塵を避けてひっそりと暮す主の奥ゆかしさを、その家の軒端の栗の花に託して詠んだ挨拶句です。


芭蕉句碑が置かれた場所の脇から石段が裏手の山へのびています。実はこの山の一番高いところにお万の方の「火葬の地碑」があるというので、石段を上ってみることにしました。のぼるにつれ薄暗く、若干ジメジメとした空気が流れ、それほど人も訪れないためか、石段には蜘蛛の巣がいたるところに張って、顔にまとわりつきます。


大江戸散策徒然噺 裏山へつづく石段


石段は全部で73段あります。山の頂は鬱蒼とした木々に覆われて暑い陽射しを遮ってくれるのですが、やたらやぶ蚊が多くちょっと立っているだけで蚊の集中砲火を浴びる状態です。

先ほどの「お万の方の火葬の地碑」も陽射しに遮られ薄暗い木の陰にひっそりと置かれていました。蚊の攻撃から逃げるように再び石段を駆け下り、ほうほうの体で清源院をあとにすることにしました。


大江戸散策徒然噺 お万の方の火葬の地碑


再び旧道(国道1号線)へと戻り、バスセンター前信号、戸塚郵便局前信号を過ぎ、戸塚小学校入口信号に達すると、右手に石垣で囲まれたスペースが現れます。ここがかつての戸塚宿の本陣があったところです。本陣の名は「澤辺本陣」といい、このスペースの裏手の家は「澤辺」の表札がでています。おそらく本陣を営んでいた澤辺家のご子孫の住んでおられるのでしょう。ここ本陣跡には「明治天皇戸塚行在所跡」の石柱もたっています。


大江戸散策徒然噺 澤辺本陣跡


尚、戸塚宿にはここ澤辺本陣の他に内田本陣があり、その他に脇本陣が3軒あったそうです。

この澤辺本陣跡の左わきから細い路地がつづき、奥に二本の銀杏の木と石製の鳥居が立っています。鳥居の奥に小さな社殿が見えます。この神社が羽黒神社で本陣の澤辺家が家の守り神として建立した私的な神社なのだそうです。まあ、本陣を営むだけあって、宿場の中では名家で金持ちだったのではないでしょうか。


大江戸散策徒然噺 羽黒神社鳥居と社殿


羽黒神社をあとに次の戸塚消防署信号を過ぎると、それほど目立たないのですが「臨済宗 円覚寺派」と刻まれた銘板がはめ込まれた石柱が歩道脇にたっています。その石柱から奥につづく道を辿ると坂道の上に山門が構えています。銘板には寺名が入っていませんが、これが「海蔵院」です。


大江戸散策徒然噺 海蔵院銘板


海蔵院の山門はそれほど立派なものではありませんが、この山門には龍の彫刻が彫られています。一説によるとこの龍の作者があの有名な左甚五郎と言い伝えられています。それほど大きな境内ではないのですが、ご本殿の他に鐘楼堂が備わっています。


大江戸散策徒然噺 海蔵院山門
大江戸散策徒然噺 左甚五郎作の龍の彫刻
大江戸散策徒然噺 海蔵院境内


この海蔵院からほんの僅かな距離に、国道一号線に面して有名な神社が社殿を構えています。戸塚近在では「お天王さま」として親しまれている鎮守ですが、その名を八坂神社といいます。当社を有名にしているのは「お札まき」と呼ばれる踊りなのですが、7月14日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。


大江戸散策徒然噺 八坂神社鳥居
大江戸散策徒然噺 八坂神社社殿

この踊りは、江戸時代中期、江戸や大阪で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されています。男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして裾をからげ、渋うちわを持ち、音頭取り一人はボテカズラをかぶります。音頭取りの風流歌に合わせて踊り手が唱和しながら輪になって右回りに踊ります。踊り終わると音頭取りが左手に持った「正一位八坂神社御守護」と刷られた五色の紙札を渋うちわで撒き散らします。人々は争ってこれを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。


風流歌の歌詞は「ありがたいお札、さずかったものは、病をよける、コロリも逃げる」というものです。


其の弐へつづく


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大江戸散策徒然噺



スカイツリーへは毎度同じ道を辿って行くのですが、今日に限ってこれまで通ったことがない路地をくねくねと進んでいったのです。


スカイツリー直下を走る浅草通りから錦糸町側へほんの少し入った路地を進むうち、前方になにやら奇妙な姿の建造物を発見!


大江戸散策徒然噺 まさしく天守?


遠目からは大きな銭湯か、はたまた新興宗教の本部の建物かと思うような外観です。近づくうちにその外観は銭湯でも、新興宗教の寺院建築でもなく、まさしく住宅街にそそり立つ城郭、すなわち天守そのものではありませんか。


今までスカイツリーには何度となく通っているのですが、まさかこんな場所に「お城」があるだなんて予想もつきませんでした。おそらく知らなかったのは私だけかもしれませんが?こうなるとスカイツリーどころではありません。いったいこの「お城」がなんの目的で建っているのか、を知りたくなりました。


東京にはこの手の風変わりな建物をラブホテルとして使っていることが多いのですが、このお城には「城門」まで備わっています。そして天守にあたる建物には「梲(うだつ)」らしきものが置かれ、それには「お城・森八」と「御菓子司」と書かれているではありませんか。


大江戸散策徒然噺
大江戸散策徒然噺 商号
大江戸散策徒然噺 お城全景


実はこのお城は墨田区業平に店を構える和菓子「森八本舗」の本店の建物だったのです。創業は戦前の昭和8年(1933)ですから、今から80年余り前のことです。この城の築城年は定かではありませんが、スカイツリーもさることながらここ業平のもう一つの名物建物になっているのではないでしょうか。とはいっても森八城の城下はそれほどの賑わいがないのが不思議です。


大江戸散策徒然噺 本日の東京スカイツリー


さて森八城の城主が推奨するお菓子はなんといっても「大粒栗入最中」のようです。栗の形をした最中で大きな栗が1個丸ごと入ったもので、こし餡と白餡の二種類の味を楽しめるようです。

スカイツリーにお越しの際に、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?


お城 森八
住所:東京都墨田区業平1-3-6
電話:03-3622-0006
営業時間:9:00~18:00
定休日:毎月第3月曜日 ※ただし、3月・9月・12月は第3月曜日も営業します。

http://morihati.co.jp/


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