一昨日、約6年間勤めた会社を退社した。
最後の日、お世話になったいろんな人達に挨拶して回って労いの言葉をたくさん頂戴した。
2010年の9月、訳も分からず来た日から6年。。
それはそれは色んな事がありました。
最初の1年は明日クビになるかもしれないという崖っぷちに常に立っていた。
毎日毎日遅くまで残って、何度も何度もやり直しさせられた。
営業マンにボロクソに言われて死ぬほど悔しかった。
クーラーの効かない週末のオフィスで一人で作業させられた事もあった。
現場の事情を何も知らない上の人間が言いたい放題言ってきたり、、
何の為に苦労して大金叩いて美大で勉強したのか分からなくなってしまった。
何度諦めようと思ったか数え切れない。
それでも辞めなかったのは他に行く場所なんて無かったから。
新しく来た上司に認めてもらう為に必死でアピールした。
信頼関係を築くという事を本当に学んだ。
ある日歯が折れて、歯医者で抜歯したその足でオフィスに戻り出血を抑えながらフラフラになりながら深夜まで作業を続けた。。
そしてそれがとんでもない賞を取ってしまった。。
もちろん自分一人の力ではなく、チームの一員として貢献した結果、チームワークというものをこの歳になって学んだ。
手術を受けた事もあった。
自分のせいじゃないのに、うまく弁明できず怒鳴られたのは一度や二度ではなかった。
英語でうまく伝えられず、うまく理解できずバカだと思われたのが悔しくて眠れなかった。
現地採用、現地採用って行く先々で小馬鹿にされて、泣きたい位悔しかった。
夢のためとは言え、狭い部屋に住んで、安い給料でこき使われて惨めだった。。
失敗した全責任を押し付けてきた腐った上司もいた。
数え切れない程徹夜し、そしてその努力のほとんどは無駄に終わった。。
でも経験値は着実に上がっていった。。
肺炎になり2週間も会社を休んだ事もあった。
社内政治のせいで損した事も沢山あった。
英語力のせいで、言ってることを信じてもらえなかった。。
何の説明もなしにプロジェクトから外された事もあった。
作品を横取りされそうになって必死で守り通した事も一度や二度ではなかった。
仕事が終わっても、土曜も日曜も仕事が頭から離れなかった。
こんなの見せるなって言われた事もあった。
毎回毎回プレゼンの前は飯も喉が通らなかった。
中国語分からなくても悪口言ってるってのは分かるから悔しかった。。
それでも味方になってくれる仲間がいたから6年間持ちこたえる事が出来た。
ここで出会った仲間は一生の仲間だし、ここで戦った敵は一生敵です。
21,22歳の時から海外留学を考え始め、一念発起し本腰入れてTOEFLのスクールに通い始めたのが23歳の時。丁度11年前の今頃だった。当初は2年制のカレッジでも行こうかなーって思ってたのに、、しっかり腰据えてやらないとダメだと思い、結局4大に行き、卒業後海外で働くなんて無理無理って思ってたら、まさかのシンガポールからのオファーが来てあっという間に6年。
10年も海外に行く事になるなんて若かったあの頃、夢にも思わなかった。。
アメリカ留学の頃から日本の快適さに飢えてたし、 毎年一時帰国は楽しみなイベントの一つだった訳だから10年ぶりの日本での生活は、、もう今から楽しみで仕方ありません。
日本も日本で色々大変だと思うけど、どこに行ってもいい面と悪い面が両方ある訳だからそれは仕方ありません。食事とか生活とかの面では圧倒的に快適になる訳だから多少嫌なことあっても文句言いませんけどね。
最後の日、お世話になったいろんな人達に挨拶して回って労いの言葉をたくさん頂戴した。
2010年の9月、訳も分からず来た日から6年。。
それはそれは色んな事がありました。
最初の1年は明日クビになるかもしれないという崖っぷちに常に立っていた。
毎日毎日遅くまで残って、何度も何度もやり直しさせられた。
営業マンにボロクソに言われて死ぬほど悔しかった。
クーラーの効かない週末のオフィスで一人で作業させられた事もあった。
現場の事情を何も知らない上の人間が言いたい放題言ってきたり、、
何の為に苦労して大金叩いて美大で勉強したのか分からなくなってしまった。
何度諦めようと思ったか数え切れない。
それでも辞めなかったのは他に行く場所なんて無かったから。
新しく来た上司に認めてもらう為に必死でアピールした。
信頼関係を築くという事を本当に学んだ。
ある日歯が折れて、歯医者で抜歯したその足でオフィスに戻り出血を抑えながらフラフラになりながら深夜まで作業を続けた。。
そしてそれがとんでもない賞を取ってしまった。。
もちろん自分一人の力ではなく、チームの一員として貢献した結果、チームワークというものをこの歳になって学んだ。
手術を受けた事もあった。
自分のせいじゃないのに、うまく弁明できず怒鳴られたのは一度や二度ではなかった。
英語でうまく伝えられず、うまく理解できずバカだと思われたのが悔しくて眠れなかった。
現地採用、現地採用って行く先々で小馬鹿にされて、泣きたい位悔しかった。
夢のためとは言え、狭い部屋に住んで、安い給料でこき使われて惨めだった。。
失敗した全責任を押し付けてきた腐った上司もいた。
数え切れない程徹夜し、そしてその努力のほとんどは無駄に終わった。。
でも経験値は着実に上がっていった。。
肺炎になり2週間も会社を休んだ事もあった。
社内政治のせいで損した事も沢山あった。
英語力のせいで、言ってることを信じてもらえなかった。。
何の説明もなしにプロジェクトから外された事もあった。
作品を横取りされそうになって必死で守り通した事も一度や二度ではなかった。
仕事が終わっても、土曜も日曜も仕事が頭から離れなかった。
こんなの見せるなって言われた事もあった。
毎回毎回プレゼンの前は飯も喉が通らなかった。
中国語分からなくても悪口言ってるってのは分かるから悔しかった。。
それでも味方になってくれる仲間がいたから6年間持ちこたえる事が出来た。
ここで出会った仲間は一生の仲間だし、ここで戦った敵は一生敵です。
21,22歳の時から海外留学を考え始め、一念発起し本腰入れてTOEFLのスクールに通い始めたのが23歳の時。丁度11年前の今頃だった。当初は2年制のカレッジでも行こうかなーって思ってたのに、、しっかり腰据えてやらないとダメだと思い、結局4大に行き、卒業後海外で働くなんて無理無理って思ってたら、まさかのシンガポールからのオファーが来てあっという間に6年。
10年も海外に行く事になるなんて若かったあの頃、夢にも思わなかった。。
アメリカ留学の頃から日本の快適さに飢えてたし、 毎年一時帰国は楽しみなイベントの一つだった訳だから10年ぶりの日本での生活は、、もう今から楽しみで仕方ありません。
日本も日本で色々大変だと思うけど、どこに行ってもいい面と悪い面が両方ある訳だからそれは仕方ありません。食事とか生活とかの面では圧倒的に快適になる訳だから多少嫌なことあっても文句言いませんけどね。



























