そんなオヤジが、神輿を造りはじめた。
どこにも負けない手作り神輿
が口癖ではあったが、
造っていたのは、町内の器用な方々。
親父は、終わるころ、ふらっと現れ
みんなを飲みに連れていった。
この流れが、どうしても受け入れられなかった。
腕に技術のある人がかっこよく見える年頃だったんだろう。
今でいうプロデューサーなんて言葉知らなかったし。
真剣に造っている人のじゃまをして、
手柄だけはいただく不真面目な奴。
そんな風に見えていた。
だから、完成した神輿をお父さん達が造った神輿といわれても恥ずかしく、
見たこともない。
でもね、今となっては
親父の役割もわからないでもない。
いや、40代のお父さんたちが、
夜な夜な口実を作って出かけていたわけなんだから
ありがたかったかもね。
タダ酒飲めたし。
もちろん、当時ならスナックとかクラブとかお姉ちゃんのいるお店ね(笑)
今の自分なら、相当なモチベーションだな。もし生きているなら
人を使う監督業務をどう思っていたのか聞いてみたい。