方程式
「明日はどうしたらいいだろう……」
地に足をつけて……なんて言葉には遠く及ばない8月の稼働。それはとても自分らしい立ち回りとは言えず、某ライターさんの後ろを着いて行く、まるで金魚の糞のような『行動』だった
もちろん、知らない土地の情報なんかも教えてもらったし、感謝の気持ちでイッパイだ
しかし、先述の言葉通り、立ち回りが自分らしくないのだ。全くと言っていいほどに
何が自分らしいのか?
どんな立ち回りが理想なのか?
得意な機種と得意な環境は?
自分でも分かっているハズだった
『環境が変われば立ち回りも全て変わる』
この言葉を意識しすぎたのかもしれないが、東京に来てからは強引と言っていいほど設定狙いに拘っていた
『主にジャグラーを朝イチから打つ』
しかし……私は結果が出なかった
設定状況が厳しくなる時期も関係したのかもしれないが、それにしても…と言う内容
『こんな時こそ収支表を活用』
7~8月の収支表を見返してみると嫌なくらい数字に表れている。ジャグラーの内容が生活レベルに達していないのだ
だが、落ち込む必要などなかった
『環境に対応することが大切』
この結果を受け止めて、9月からは立ち回りを大きく変えた…と言うよりも、自分らしい縛りのない立ち回りに戻したと言うべきだろうか
リアルに電車でも移動費がバカにできない状況下で、ジャグラーの設定5狙いは実に厳しい。毎日ツモれれば別だけどね
9月に入ってからはライターさんと立ち回ることがなかったので、ジャグラーの設定狙い(朝イチ)はなし
打つとしても確実に6を使う状況のみ
逆に朝からハイスペック機の設定狙いや、機械割110%前後の沖スロを打つ機会を増やした
それでも朝からの設定狙いは月に5回程度
残りはハイエナだ
特に最近の機種はハイエナ向きだと思うし、時間効率の悪さが悩み所だった初期の5号機とは違う
収支は荒れるがスピードと爆発力に特化した北斗転生や、低資金で安定した収支が計算でき、且つ短時間で勝負が可能なAKB
この機種達を生かさない訳がない
この立ち回りを勝利の方程式……と名付けるにはショボイけど、今月の結果は圧倒的と言える
沖スロ、バジリスクをツモれた事も大きいけど、何より熊本で稼働していた時から言い続けてきた『期待値』は確実に積み重ねている





ハイエナするにも稼働時間を遅くまで伸ばした。前までは、取りきれないことを避けるため20時半には切り上げていたが、21時頃になるとAKBの400ハマリが空く
AKBは爆発力に欠けるが、こういう閉店2時間前でも打てる機種だし、そして期待値も高い
それぞれの長所を生かした立ち回り
それでも、まだまだ完成されていない方程式
いや、完成したらダメなのかもしれない
それよりも、柔軟に対応し変化する方程式
それは方程式とは言わないのかな?笑
立ち回りは変化しても、勝ちたいという信念さえ変わらなければ、人は自ずと進化し、対応していくのだろう
枠にとらわれない自由な立ち回りを目指して…
うん。それこそアドリブと言うべきか

『扉に変わるかもしれないという、勝手な希望にとらわれて、壁をたたき続けていてはいけません』
byココ・シャネル
刺激(くせ)になっちゃう
モモ「皆様、ご無沙汰しております。覚えていらっしゃるでしょうか?改めまして、将軍家の会計を任せれているモモです」

※5月6日更新の『代役進行』以来
モモ「最近、モッタさんの更新が少なくて寂しいと思う方が増えてるかと思いますが……。あれっ?私だけ?あらっ、やだぁ~私ったら…♪まぁ、それは置いときまして、9月のモッタさんは北斗転生に夢中のようです!どれくらいかと言いますと『650あべし』から天井狙いしてるくらい♪」

※ガチで650あべし~全ツッパ(即ヤメ)
モモ「でも、さすがにキツいようですね。それでも700あべしからなら問答無用。そんなに面白いの?って疑問に思ったので、会計の身ながら、この前コッソリ打ちに行っちゃいました♪今回は、その時の出来事を少しだけ…お伝えしますね♪」
☆☆モモの一人でパチスロ逝けるもん☆☆
9月5日
モモ「なんとか城を抜け出せたわね。とりあえずモッタさんが打っている新宿方面に行くしかないわね」
ガタンゴトン~ガタンゴトン
モモ「着いたわね。え~と、確かこのホールがモッタさんのハイエナ専用ホールね。北斗転生がイッパイだわぁ~。あっ、ノーボーナス600あべし♪」
ここは会計モモ、サクッと1500枚
モモ「うん!まずまずね。何となくイメージはできたけど、意外とレアなフラグなしでも一撃はあるみたいね」
とことことこ…(店内徘徊)
モモ「あっ、700あべし♪」
闘神演舞、ゲェ~トッ!(モードB天井?)
モモ「あらっ!スゴく早いのね♪(意味深)モードBだったのかしら?とりあえず、ここからが勝負よね」
そして早い段階で……
ピュイーン、ピュイーン

モモ「えっ?えっ?これが噂のSPバトル!?しかも重い病のお兄様が戦場にいるなんて!?お兄様、私のことは気になさらず寝ていてください!」
ぶはぁー。SPバトル6連終了
モモ「……なに寝てんのよ(ボソッ)」
このあと、神拳勝舞は早い段階で勝つものの、思ったように勝舞魂が貯まらないモモ
モモ「うぬぬ…。これが北斗転生ね。確かに一筋縄じゃいかないようね。まぁ、私が縛られたいタイプだけど…」

「モモ、魅せてもらったよ」
モモ「えっ?ど、どうしてここに?」
シャキーーーーーン
モッタ「こんな所で女の子にアドリブを使わせては、将軍の名に恥じるってもんさ。魅せてやろう…北斗転生の出し方を」

モモ「…………(ドキドキ)」
モッタ「タマを集めるのは野球部1年生以来だぜ!ここでタマタマを集められない奴は勝てねえぇぇぇぇ!!」
モモ「な、なんなの!?この闘気は!?」

モッタ「まずは百烈乱舞3連発で一気に勝舞魂を貯める!これぞ爆裂の秘訣!そして3個以内で連チャン!」

※こんな感じ
モモ「あーーーーーん
み…み、見ているだけで…ダ、ダメェーーーー
」

モッタ「モモ!眼に焼き付けておくがいい!これぞ真のアドリブじゃい!」
神拳勝舞
40連敗……
モモ「こ、これもアドリブ!す、素敵♪」
モッタ「今日はこれぐらいで勘弁してやるぜ」

ノーチャンスなど存在しない
そう。毎ゲームに奇跡の可能性がある
だが、それと同時に油断もできない
世紀末を生き抜くとは、まさにそれなのだ
気を抜くと、キミも40連敗しちゃうぞ♪涙
「名ばかりの成功者になるよりも、真に価値ある人になれるように努力しよう」
byアルバート・アインシュタイン
メメント・モリ
ここ数ヶ月の事、私の周囲で「飼っていたペットが亡くなった」ということを、よく耳にしている
それは地元の友人やアメンバーさんだったりするわけだが、そのときに毎回言う言葉がある
「生き物は死に向かって歩む」
少し冷たいような言葉にも聞こえるが、これが事実であり、『死』という事実なくして、人生は完成されない
私達が存在している限り、死とは絶対的に離すことのない約束された結末なのだ
しかし死とは悲しいものではない
エヴァンゲリオンの渚カヲルくんが発言した言葉にもある通り、『生と死は等価値』なんだ
「何を無責任なことを!」
そんなことを言われるかもしれないが、私だって、たくさんの別れを経験してきたし、自分なりに死を理解しているから自分の好きなことをやっている
私がまだ小さい頃、同居していたおじさんが亡くなったことがある。身体が不自由で、車椅子生活だったおじさんだが、最後は日本でも珍しい病に倒れた
もちろん動物との別れも経験してきた
過去に飼ってた犬は4匹。全て亡くなった
去年辺りに何度かブログにも登場し、私の散歩相手をしてくれた犬も、またその内の1匹で、今年のまだ寒い2月に亡くなった

学校に侵入してきた犬を保護した形で始まったため正確な年齢はわからないが、少なくとも16歳以上は生きた
「長生きしたなぁ~」
なんて思ってたけど、人間が16年しか生きれないと思うと短く感じる。しかし、これが犬や猫だと長生きに感じ、セミだとしたら都市伝説となる
でも、大切なのは生きた時間じゃない
大切なのは生きた中身だ
生きた中身で、泣いてくれる人の数が決まり、生きた中身で自分が最後に心から笑えるか決まる
後悔しない人生を…
偏見によってマニュアル化されつつある人生観。それと別の道を歩もうとすれば、社会から異端として見られ、しかしそれで手柄を挙げれば一気に喝采
人が判断する人生なんて、本当に『ちっぽけ』なんだと実感してしまうが、私達は死が必ず約束されてることを再確認しなければならない
死ぬとき、本当に後悔しないだろうか?
『メメント・モリ』
(いつか必ず死ぬことを忘れてはならない)
文明としては人間が生物の頂点なのかもしれないが、生物の根本的な生き方を考えるならば、私達は目の前にするペット達の足元にも及ばないのかもしれない
このブログを固い椅子で書きながら、腰とケツの痛みに涙していたが…
この痛みも生きているという証ならば…
本当にそうだとしたら心から言いたい…
ありがとう、ケツ。これからも素敵な痛みをヨロシク
う~ん、ちがうか。笑

それは地元の友人やアメンバーさんだったりするわけだが、そのときに毎回言う言葉がある
「生き物は死に向かって歩む」
少し冷たいような言葉にも聞こえるが、これが事実であり、『死』という事実なくして、人生は完成されない
私達が存在している限り、死とは絶対的に離すことのない約束された結末なのだ
しかし死とは悲しいものではない
エヴァンゲリオンの渚カヲルくんが発言した言葉にもある通り、『生と死は等価値』なんだ
「何を無責任なことを!」
そんなことを言われるかもしれないが、私だって、たくさんの別れを経験してきたし、自分なりに死を理解しているから自分の好きなことをやっている
私がまだ小さい頃、同居していたおじさんが亡くなったことがある。身体が不自由で、車椅子生活だったおじさんだが、最後は日本でも珍しい病に倒れた
もちろん動物との別れも経験してきた
過去に飼ってた犬は4匹。全て亡くなった
去年辺りに何度かブログにも登場し、私の散歩相手をしてくれた犬も、またその内の1匹で、今年のまだ寒い2月に亡くなった

学校に侵入してきた犬を保護した形で始まったため正確な年齢はわからないが、少なくとも16歳以上は生きた
「長生きしたなぁ~」
なんて思ってたけど、人間が16年しか生きれないと思うと短く感じる。しかし、これが犬や猫だと長生きに感じ、セミだとしたら都市伝説となる
でも、大切なのは生きた時間じゃない
大切なのは生きた中身だ
生きた中身で、泣いてくれる人の数が決まり、生きた中身で自分が最後に心から笑えるか決まる
後悔しない人生を…
偏見によってマニュアル化されつつある人生観。それと別の道を歩もうとすれば、社会から異端として見られ、しかしそれで手柄を挙げれば一気に喝采
人が判断する人生なんて、本当に『ちっぽけ』なんだと実感してしまうが、私達は死が必ず約束されてることを再確認しなければならない
死ぬとき、本当に後悔しないだろうか?
『メメント・モリ』
(いつか必ず死ぬことを忘れてはならない)
文明としては人間が生物の頂点なのかもしれないが、生物の根本的な生き方を考えるならば、私達は目の前にするペット達の足元にも及ばないのかもしれない
このブログを固い椅子で書きながら、腰とケツの痛みに涙していたが…
この痛みも生きているという証ならば…
本当にそうだとしたら心から言いたい…
ありがとう、ケツ。これからも素敵な痛みをヨロシク
う~ん、ちがうか。笑
