竹脇無我さん。 | 書家 HILOKI TANAKA official ブログ 

書家 HILOKI TANAKA official ブログ 

書家HILOKIの活動をこちらで投稿させていただきます☆
・展覧会
・教室
・YouTube
・日常 などなど

様々な情報をお届け致しますので、よろしくお願いします^ ^

無我さんと初めて会ったのは、去年の4月。


銀座のJ trip art GALLERYでの俺の個展 "HILOKI個展scene3 心音" の時。


たまたま、ギャラリーの知人を尋ねて来られたのがきっかけ。


正直、27歳の自分は無我さんの事を名前しか知らない程度。


それでもたくさん話した。
たくさん話してくれた。




『あのさぁ、俺の好きな言葉を書いてくれよ。すぐにじゃなくていいからさぁ。頼んだよ。』





それから京都に帰ったある日、携帯が鳴った。




『ひろきぃ、元気かぁ??撮影で明日から京都行くから、連絡するよ。俺がいる所に来いよ。知り合いに会わせてやっから。』





驚いた。

こんな俺の事を覚えててくれて、しかもご飯にまで誘ってくれた。

嬉しいのと同時にめちゃくちゃ大好きになった。


祇園のとあるお店に呼んでいただき、帰りはホテルまでお送りした。

帰り際に、




『次会う時までに、例の頼んだやつ書いといてくれよぉ。俺待ってんだから~。頼みますよ~。』




また、驚いた。
本気で言ってくれてた事に驚いた。


それからまた京都に来る時に連絡をくれた。




『なぁひろきぃ、例の書いてくれたか?どんなのでもいいからさぁ。ひろきに任せるから。』





宿泊されてたホテルで一緒にご飯を食べた時に書いた作品を渡した。

下手くそなりに、上手に書こうと気張って書いた。
無我さんに、渡すからと気張って書いた。




『ひろき若いんだからさぁ、もっと自由に書いていいんだよ。キレイに書こうとしなくったっていいんだよぉ。
なんてね。偉そうな事言いました。
ありがとな。確かに。』





あの声で言われるとミョーに説得力があったのと、あったかさを感じたのをを凄く覚えてる。




『今度さぁ、書道の道具を面倒みてくれよ。持ってたんだけど、引っ越した時に誰かにやっちゃったか、失くしちゃったかで無いんだよ。
ひろきがいつも使ってるとこあるだろ??』

少し久しぶりの電話。

「わかりました。昔から道具をお世話になってる方に連絡しときます!」




それから、先日。




『頑張ってるか??』

「頑張ってますよ!8月にグループ展、11月に個展、両方東京でやるから、来て下さいよ!
でね、8月のは僕が主催で、、、
無我さんもお元気ですか??」

『おお、そうかい。頑張ってるね~。
俺もね、こんなおいぼれでもちょいちょい仕事があんだよぉ。
ぼちぼちね。
展覧会のハガキ送ってくれよ。
時間が合えば必ず行くからさ。』




今開催中のグループ展のDMを送った。




『ハガキ届いたよ。ありがとね。
尾久ってちょっと遠いじゃねぇか~。
まぁ時間があって気が向いたら行くよ。11月の銀座は間違いなく行くから。なっ。』

『それとさぁ、前にも言ってた書道の道具をよろしく頼むよ。
今月、28日から京都に行くから、
29日の昼にホテルに迎えに来てくれよ。』




最後の会話。


昨日、東京の知人から夜に電話をいただき、無我さんの状態を聞き、


今日、横浜トリエンナーレの会場にいる時に、

photo:01



これをTwitterにアップしたら、

京都から朋ちゃんが電話くれた。



写真をアップしたのは、15時ぐらいかな。もう遅かったみたい。



俺は東京にたまたまいるのに、何も出来なかったし、何も知らなかった。


付き合いも浅いし、無我さんの周りの方々、家族の方々を知ってる訳でもない。

俺なんかが出来る事もある訳ない。
相手は大スター。

でも俺は大好きやったし、
間違いなく可愛がってくれてた。
と思い込んでる。


無我さんにこれからも会いたかった。

いつも有言実行だった無我さんは、
11月の個展にも来てくれたはず。


Twitterで無我さんの死を残念に思ってる人がいっぱいいて、嬉しかった。


無我さん、短い間でしたがありがとうございました。
叶うなら、線香の1本でもあげに行かして下さい。
無我さんがおうちに招いてくれたら叶うから、よろしくお願いします。


書道の道具屋さんにもちゃんと断っときました。
楽しみにされてたんですよ。


本当にありがとうございました。
俺は無我さんを絶対忘れません。
だから俺の事も忘れないで。
頑張るから見てて下さいね。







iPhoneからの投稿