こんにちは、ヒューマンライフケア採用担当です。

 

学生さんから「認知症の方との接し方で気を付けることはありますか?」と聞かれます。

認知症は特別なことではなく、私たちや大切な家族

誰しもがなりうる可能性があります。

 

ではまず認知症の方の気持ちを知ることから。

認知症の方の心の中を表現した詩をご紹介します。

 

 

 

濃い霧のなかで

  薄暗く,そして霧が立ち込めている.
 何だか知っている場所のような気もするし.初めての場所のような気もする.
 ここがどこかわからないまま.ただ歩き続けている.
 暑いのか寒いのか,昼なのか夜なのか,見当がつかない.
 たまに,モヤが引くと.そのときだけ,周りのものがはっきりみえたりもする.
 でも,わかったかと思うと.ドッと疲れを感じて.
 また同じようにわからなくなってしまう.

  濃いもやのなかを歩いていると.
 周りの人がなにか不気味な話をしながら過ぎ去っていくような気がする.
 その人たちは,とても元気でなにかをしようとしているようにみえるが,
 なにをしているのかはわからない.

  ところどころ,言葉の端々に自分のことを話しているようにも思える.

  ときどき.懐かしいものがあるのに気づいて,近づくと.
 急にそれは姿を消したり,得体の知れないものに姿を変えてしまう.
 すべてを失った感じがして.ひとりぼっちだ.
 どうしてよいかわからず.すべてがこわい.

  そのうえ.トイレや食事も満足に自分ではできない.
 自分の体が自分の思うように動かず.
 なにか自分が、汚くていないほうがよいのではないかという感じがする.
 昔の元気な自分はどこか遠くに行ってしまい,
 ここにいるのが果たして自分なのかわからない.

  あっ.取り調べが始まった.偉そうな人たちがきて,
 私には到底できないような,わけのわからないことをしろというのだ.
 100から逆に数字をいうように強要したり,
 『50歳より年の人は,両手を頭の上に上げて』といったり.
 彼らはそれでいて.その尋問が何のためかは.決していうことはないし.
 その結果をどのように思うかもいうことはない.
 もしも.何のためにするのかを教えてくれて.
 だれかが適切に導いてくれるのなら,喜んで,できることはしようと思うのに.

  しかし,これが現実なんだ.すべてが散り散りで,何の意味があるのか,
 これから,どうなっていくのかもわからない.かつて,自分がどこにいて.
 何をすべきかがわかっていたころ;
  ひとりぼっちじゃなく.もてる力で.誇りをもって,
 毎日の勤めを果たしていたころ;
  日は明るく目分を照らし,人生が味わい深く,
 変化に富んでいたころ;
  そのころのすばらしい時は.暗闇と霧にまぎれて.うすぼんやりしているだけだ.

  ところがどうだ.いまは,あらゆるものが無残に壊され,
 混沌としたなかで,たったひとり取り残されている.
 あるのはただ,二度と立ち直れないような,喪失感だけだ.
 かつては,自分だって,まともな人間として扱われていた.
 でもいまは,ひとりの人間としての価値もなく,
 ただの用なしだ.少しでも相手に強く出られると.裸同然といってよいほど無防備だ.
 そして,これは,これから先,ずっと見捨てられて,
 崩れ去って,人間じゃなくなるようなもんだ.

  ( Tom Kitwood,Dementia Reconsidered;the person comes first,
       0pen University Press,Buckingham. 1997より; 水野 裕訳 )

 

認知症の方は日ごろから、とても不安で細い綱を渡っているような心細さやストレスがあり、

とても寂しい世界にいること

 

自分自身がこのような状態になったらどう声をかけてほしいでしょうか?

 

 

 

続く・・・・

 

小野