こんにちは、ヒューマンライフケア人事部の小野です。

 

皆さん、自分の間違いを指摘してくれる人は何人いますか?

今まで一番叱られたのは親です。家族なので、自分が嫌われたとしても正しい道へ導くために叱ってくれます。

 

友人はどうでしょうか?

 

例えば、モノを盗んだとき、飲酒運転、不倫など法に触れることをした時に

肯定する人、かばう人は本当の友人ではありません。

 

その時は自分が悪いと非があるからこそ、否定されないことで安心します。

しかしその場しのぎでしかなく、ばれた時、事件になったとき、その人は責任を取ってくれません。取れません。

結局その人がどうなろうと知らない、自分がその場でその人に嫌われないがために取っている行動が肯定です。

 

昔、塾をずる休みしたり、門限を破って遊んでいた友人がいました。その時はとても楽しく、悪い行動を否定するのではなく共有共感でき、自分だけが悪いわけではないと思えたので一緒にいて楽でした。

ただ、自分がそういうことを辞めた時、離れていきました。

「昔と変わったね」「面白くなくなった」「つれないな~」と。

 

もちろん昔は悪い事もしたけど、一緒に正しい方向へ向かった友人もいます。

 

『友人』というのは、そもそも『自分の間違いを指摘してくれる人』のこと。『自分に差す後光(栄光、名誉、財産、容姿)に吸い寄せられてきた人』のことではありません。

つまり、前者と後者の違いは、『損をする覚悟』の有無です。本当の友人なら、その損な役を買って出ることが出来ます。それを指摘することによって、たとえ一時的な理解が得られず、不和な状況が出来たとしても、それが本当に本人の為になることがわかっているから、その役を買って出ます。

 

大人になると社会が広がり出逢う人も増えます。

色んなニュースが飛び交う中、世の中はたくさんの罠で溢れています。

それぞれ個人の人生なので、好きに生きることが一番かもしれません。

しかし甘い誘いや、一瞬のいいかという考えで取り返しのつかない事、悲しむ人がいることも事実です。

 

自分が間違った道に進んでいる時は同じ境遇の人が集まります。

そして本当の友人は離れていきます。そこに早く気付いてほしい。

自分の本質を見てくれているか、見極め、選択していくのは自分です。

 

優しいだけの人が本当にあなたの事を考えてくれているとは限りません。

私も友人から厳しい言葉をもらったことがあります。

その時は、否定されると距離を置きたくなりました。

でも、一番私の事を考えて言ってくれていたのだと今は感じますし、救われました。

そして今でもその人の事を本当に信頼し、お互い思ったことを言い合える関係です。

 

指摘してくれる人に耳を傾け、自分自身も相手にどう思われるかではなく、

本人の事を思って発言できる人になりたいと思いました。

 

どうすればいいか分からなくなったときは信頼できる。この人なら間違ったことを指摘してくれる人に相談してみてください。

 

 

 

小野