こんにちは。 さいとう弘です。


尖閣諸島を巡っては、やはり、「船」が・・・


今回、中国漁船が日本の巡視船に体当たりし、以降、我が国固有の領土である尖閣諸島に注目が集まっています。


政治的には、民主政権の「軸」のなさが、この問題をあやふやにしています。


ともあれ、尖閣諸島について、「歴史」が全てです。


『致知』(1月号)に、大変良い話しが掲載されています。

メルマガが届きましたので、皆さんにも、以下、ご紹介します。


「       尖閣諸島開拓に献身した父子鷹

      占部賢志(福岡県太宰府高等学校教諭)
      
 ……以上の歴史を前にして
 なおかつ中国政府および台湾の一部の勢力が
 尖閣諸島の領有を言い募るのであれば、
 古賀善次(島の開発に尽力した古賀辰四郎の息子)
 が遺した次の証言を見よと言いたい。


 『大正8年、中国福建省の漁船が、
  尖閣列島沖合いで難破しました。
  そのとき、たまたま私の船がそれを発見し、
  難破船と31人の乗組員を助けて
  石垣島へとつれてきて、手厚い保護をしました。
  
  私だけでなく、石垣の人たちも彼等を
  親切にもてなし、修理をおえた船とともに
  中国へ返してやったのです。

  翌年ですよ、中国政府から私をはじめ
  石垣の関係者に感謝状が送られてきましてね。
 
  その宛名は、日本帝国沖縄県八重山群尖閣列島でしたよ。
 
  いま中国がいっている魚釣台ではなく、
  ちゃんと尖閣列島になっています。
  個人の手紙ではありません。
  政府としての感謝状です』


 ここに紹介された中国政府から贈られた
 「感謝状」は現在も保存されています。
 今を遡ること90年前から、
 中国は尖閣諸島は日本の領土であると
 認識していた決定的な証拠にほかなりません。
         (略)
 重ねて言いたい。尖閣諸島開拓のパオイニアは
 わが国の古賀四郎・善次父子だったのです。
 この先覚者の偉業を思う時、
 直面する領土侵犯は忽(ゆるが)せにはできない
 課題として我々に迫ります。                 」