ノムラ證券残酷物語 -2ページ目

Vol.72 「仕手筋とノムラ(1)」

「仕手筋」「仕手株」という言葉がある。恐らく証券市場最も有名なのは、黒川木徳証券の歩合外務員だった加藤晃氏であろう。政治家・著名人、そして一般投資家を会員に募り、巨大証券に立ち向かう「一般庶民」の味方であり、英雄なのだと宣伝し多くの会員を集めて数々の銘柄を値上がりさせた。


最終的に検察当局に脱税か証券取引法違反か、出資法違反かなんだったか忘れたが検挙され、表の世界からは消えたが、一部では政治家が政治資金が必要な時に何度も大相場を作ったとされる人物で、検挙された後も重要な有力顧客の名前を一切漏らさずに一人で罪をかぶり、それもまた謎の人物の評価を上げているのだろう。現在では誠備グループから、「泰山」銘柄等の呼び名に変わってまだまだファンも多く、一部の個人投資家の信奉者も確かに多い。


また有名なところでは80年代初頭に「投資ジャーナル事件」があった。最終的には80年代半ばに、代表の中江滋樹が詐欺容疑で逮捕され事件は決着したが、70年代の終わりに投資顧問会社を設立して、本を出版し、資金を集めて一時は兜町の風雲児ともてはやされた時代があった。一般投資家から資金を集めて株式を買い占める一方で、私的に流用してアイドル歌手に貢いでいたりしたことがその後発覚し逮捕、実刑となった事件だった。仮釈放後も三井埠頭事件等で暗躍していたとの噂もあるが、まあこいつはただの詐欺師に違いない。


筆者の入社した頃は、ちょうど誠備グループは加藤某氏の逮捕で一時鳴りを潜めていたので、投資ジャーナルの全盛期だった。入社して1年目の時に大学生4年生のリクルート面接をやったことがあるが、学生の中にも少しは株をやる連中がいて、投資ジャーナルの銘柄を持っているとか話していた奴がいた。その事を支店に戻ってH田インストラクターに話すと開口一番「もうそんな奴は会わなくて良い。変な癖がついてる奴は一切取らなくて良い。ノムラに入社する前に株なんか知らない奴が一番伸びるんだ!」と言われて少しびっくりした記憶がある。(続く)

Vol.71 「クレーム処理の天才(5)」

Oはこのダマテン商いが取り消しになるとすると、自分にも傷がつくのではと心配して夕方から夜の時間を過ごしたという。M岡は席に戻り、何事も無かったように仕事をして帰りがけにOを席に呼んだ。


『O君、それでは、朝のクレーム客だが、明日このペロを出しておいてくれ。売った後に株数は買える範囲で書き込んでおいてくれ。多分7000株しか買えないだろうな。』と彼に渡した。そのペロは通常のペロで取り消しの稟議書でも何でもなかった。M岡がOに渡したペロは帝国石油を1万株全部売って、アマノを買戻すペロだった。取り消すのではなく、単に市場で買戻すだけなのだ。それもまた高い手数料をもらって・・・株数も減って・・・


その客は、1000円前後のほとんど同じ値段だったアマノを1万株持っていたのをダマテンで帝国石油1万株に変えられてしまった。売った時はアマノは1000円だったが1週間近く経っている今日の終値はアマノは値上がりしていて1200円近くしていた。1000円で買った帝国石油は、またもや、へび支店長の相場観が外れて、900円近くに下がっていた。1000万円の現金が今は900万円になっていて、恐らく明日の値段次第だが、約900万円だと1200円のアマノはもう7000株しか買えないのだ。


客はそんなつもりで「元に戻してもらおう!」なんて言っていない。そんなことはOも百も承知であった。それでもM岡の『そんなにおっしゃるなら元に戻しましょう』と言ったのは銘柄のことだけで、それも市場で手数料をもらって買戻すだけなのだ。客は1万株持っていたアマノが7千株になってしまい、そんなことは頼んでいないのに・・・


Oはそれでも明日その注文を朝言われた通りに執行するという。客が気がつくのは売買報告書が届く明日からまた1週間近く後である。少なくともその間は自分は平穏で居られる。Oにとっては取り消しなど前代未聞のことで自分に傷がつく方が怖かったに違いない。回りで聞きながら飲んでいた我々も「対岸の火事」と決め込んで、自分に降りかかった火の粉ではないことを良いことに、倫理観などはなから持ち合わせていない構成員としての役割を演じていただけだった。筆者も今は「それはおかしいですよ!間違っています!」って、その時言えなかった自分が恥ずかしいと思うだけである。私も同罪なのだろう。(この章終わり)


Vol.70 「クレーム処理の天才(4)」

最後にM岡が言った言葉が奮っていたという…


「お客様、Oは当社でも最も優秀な社員です。彼はお客様のためにと良かれと思ってしたと思うのです。もしお客様が裁判等に訴えるのであれば仕方ありません。もしそうなら、会社は全力を上げて彼を守ります。当社は優秀な社員に出来るだけ傷は付けたくありません。真実はお客様とOしか分かりません。私も分かりません。ですが、残念ですが会社は彼の将来を思って彼を全力で守ります。お客様はご納得はいかないと思いますが、一度だけ上げた拳をおろしていただけ無いでしょうか。ここは、Oの将来をおもんばかって頂ければと思うのです!」


…と言ったという。


もちろんOはノムラで最も優秀な社員ではない。それどころかOは方々で間違いを起こしていた。常習犯と言って良い。構成員の中でも下っ端に属する下級構成員も良いところだ。ただ、この程度のダマテンでここまで騒ぎになったケースは珍しいのではあるが・・・こんなことは皆全員しょっちゅうだったし・・・そして、M岡はもう一度だけ別れ際に最後に話したという。これが最も彼の凄さを現していたのだと筆者は今でも思う。


7時間にも及ぼうとするその交渉は最終的にはM岡次長の粘り勝ちだったのだろう。誠意のかけらも無いノムラの対応に疲れ果てたそのクレーム客は、終に席を立とうとしたらしい。その客はただ金を返せとは言っていない。自分が認めていない商い(売買)を取り消せと言っているだけなのだ。別に総会屋では無く、正当な権利を主張しているだけなのだ。何故、ノムラはそれを認めないのか・・・と、それなら新規公開株でも新発のCBでもくれれば、少しでも気分が収まるというものなのに・・・って・・・本当にまともなお客様なのだ。


その客が席を立とうとした時に、M岡は本日3回目の発言をしたらしい。『社長、それではこうしませんか。社長がお持ちになっていたアマノの1万株ですが、社長はこれをまだお持ちになりたいと思っていた。それなのに、Oが勝手にアマノを売って、帝国石油を買ってしまったという訳ですね。では、こうしましょう。分かりました。元に戻しておきましょう。新規公開株とかを本部に頼んで差し上げても社長の腹の虫は治まらないのでしょうね。とにかく元に戻せとおっしゃるのなら、そうしましょう。それで宜しいですね』と言った。


お客は突然の対応に喜んで「さすが、ノムラの次長だ。やっと私の意図が分かってくれたのか。私は何もOさんを犯罪者呼ばわりしているのではない。元に戻して欲しいだけなんだ!では、そうしてもらおう!」と・・・いずれにせよ長時間に及ぶ交渉はこれで終わった。その後、さんざん嫌味を言った挙句にその客は帰って行ったと言う。

Vol.69 「クレーム処理の天才(3)」

「あの客もしつこいんだよ~~一回位ダマテンやったって、そんな目くじら立てたって、絶対にうちは認めないだろう。認めちゃうと全営業マンのクビが飛んじゃうもんなぁ~。でもよぉ~~今日はビビッたぜぇ~~だってあのM岡にはぶっ飛ぶぜぇ~~客が朝からエンジン全開で怒鳴り散らして入ってきたのに開口一番に『ちょっとお待ち下さい』って、風呂敷に入ったノート取り出すんだぜぇ!外出先じゃなくて、店の中だぜぇ~!


で、風呂敷広げ始めて何するんだと思ったら、あの分厚いノート取り出すんだ・・・いつもM岡の机の上にあるのは俺も知ってたんだ・・・日記帳かなんかだと思ってたんだけど、あれ開きながら、で、何か聞きながらメモを取るのかと思ったら・・・何も書かないで、あいつ7時間いた間に喋ったのは今の『ちょっとお待ち下さい』を入れても3回しか話さ無いんだぜ!」って・・・7時間で3回しか話さない・・・って・・・


M岡次長は、最初エンジン全開の客の前でほとんど全く話さなかったらしい。怒る客は最初一方的に喋っていたらしいが、1時間もしないうちに損失を補填しろ!売買を無かった事にしろ、弁護士を雇って直ぐに訴えると、もう理由も何も無く要求を言い始めたらしいし、それでも盛んに騒いでいたらしいが、全く良いとも悪いともM岡は一切言わないらしい、とにかく、ニコニコしながらただ黙って聞いているらしい。


そうですか?とも言わない。「ふ~~ん。う~ん。あ~あん」とかしか発しないらしい。昼は女子社員がお蕎麦をとって差し入れたらしい(我々は気がつかなかったが、応接室に入る前に11時半を過ぎたらお蕎麦を3人前取って持ってくるように予め指示をしていたらしい)。蕎麦を食べている間もでもある。


Oさんが、おそばが来ましたので、食べましょうと言っても客は取り合わないらしいが、M岡は先に食べ初めていたらしい・・・途中お茶の取替えが5回でそれ以外に、別にコーヒーの出前を差し入れた女子社員が入ってくる度にOさんが女子社員に「ありがとう」と言うたびに、だんだん終に客も何も言わない時間が多くなっていたらしい。

Vol.68 「クレーム処理の天才(2)」

少し書くのが空いてしまいました。忙しくて、メールの処理だけでも大変で、申し訳なく思っています。

継続は力なり!で、今後は出来るだけ平日は書くようにしたいと思います。木村

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さて、新しい次長はM岡次長といって、一見「温厚な田舎のおじさん」って風貌で、まあ「見栄えのしない」「冴えない」おっさんだった。電話も近くにいても何を話しているのかさっぱり聞こえない程度の小さな声だし、この人が本当に虎の穴の次長か?って思えるような良く分からないおっさんだった。


普段のノルマも特に大きな商売をする訳でもなく、ただ支店の数字は全盛期のY田課長が仕切っていたから日中はぼぉ~~っと過ごしていたことが多かった気がする。が、しかし、このおっさんの本性はタダ者では無かった。それはある日突然判明した。


一年先輩のOさんという先輩が無理な商い(ダマテンだったと思うが)で顧客が支店に怒鳴り込んで来た。その時のお客の対応に転勤して間もないM岡次長が応対に出た。朝、9時過ぎだったろうかその客が来たのは・・・とにかく興奮していて「支店長を出せ!」の一点張りだったから、ともかく応接室に押し込んでM岡次長が担当のOさんの話もろくに聞かずに一緒に部屋に入っていった。


その部屋から4時を回っていただろうか・・・出てきた時はそのお客も憔悴仕切っていたような気がする。ずいぶん長い時間だったのだなと、営業場の近くにある応接室からその客は出てきた。その日の夜にOさんが話した内容が驚愕であった・・・


その日の夜、あまりにも長時間に及ぶ顧客とのクレーム対応に疲れ果てたOさんは、課長以上の管理職が退社してからというもののぼう然としていた。それを見ていた我々は、Oさんを慰労すべく残っていた先輩諸氏若手で飲みにいった。少しお酒が手伝ったのだろうか、Oさんはようやく今日の7時間に及ぶクレーム対応の内容を少しずつ話し始めた。そして一気に・・・話し始めた。

Vol.67 「クレーム処理の天才(1)」

先週半ばから、シンガポールに出張しておりました。サボっていた訳ではないのです。

シンガポールは、初めてだったのですが、とても印象的な国でした。3月だというのに35度もあり、東南アジアだと思っていたら、先進的なビル群の中の街でした。でも、「タバコのポイ捨て」や「ガムのポイ捨て」禁止で、とてもきれいな街だと思っていったのですが、意外にそうでもなかったかな?と。この話は、また今度気が向いたら…では、以下に続きを…


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支店に配属されて1年位たった頃に次長が転勤して新しい次長に交代した。当時虎の穴ではY田課長の全盛期で、次長は営業課5課の上に君臨する支店長の代理役として絶対的な権限を持っているはずだったが、あまり私の印象としては次長は存在感の無い善良な方だった気がする。確か最初の次長は高卒で叩き上げの人で、人間的にもまともな人だった気がする。


筆者の入社した頃はまだノムラでも昔の株屋時代の余韻か、何人か高卒の人もまだ存在した。まともな大卒なんかまだ「株屋」には入社しない時代が長く続いたせいだろうか、また場立ちといって取引所で体を張って注文を執行する役割の人間は70年代の後半まではほとんど高卒の方で占められていた。高度経済成長も安定期に入った80年代からはさすがにノムラでは大卒しか採用しなくなったが、その頃でも準大手証券クラス以下はまだ大卒と平行して高卒も採用していたから、バブル期を挟んでは隔世の感があるのかもしれない。


D証券などは、バブル期にオリンピック選手のバスケットボールの選手を雇用していて、市場部という場立ち要員として体を張って注文を出していた。とにかく商いが集中すると混雑して誰が何を言っているのか分からないことが多いから、体の大きな奴や声のでかい奴などが市場で目立ち有利になる事は間違いないというただそれだけの理由だったのだろうか、いずれにせよノムラでも寮にはまだ市場部の先輩などで高卒の方も何人かいた。


今にして思うと高卒の方は概して大人しく、人間的にもまともな人が多かった気がする。出世という点では限界があったし、市場部勤務の後に営業に配属されたとしても、無理をせずに淡々と仕事をこなしている方も沢山いたが、営業と言っても、我々と同じ営業課ではなく、ほとんどが投資相談課などのいわゆる「女子供相手」の店頭担当であり、ノルマの大きさやプレッシャーは営業課の比では無い。

Vol.66 「(番外編)ニッコウ残酷物語」ここでもあの「仕切り玉」が!

本日、Kプロが猛烈に忙しく、とても「ノムラ残酷物語」を書けるような状況ではないということで、どういうわけか私に一回きりの「ニッコウ残酷物語」を書いてくれと頼んできました。でも、私は記憶力が悪く、3年以上前のことはすべて忘れてしまう性分なので、どれだけのことが書けるか・・・。トホホ・・・。


まず、わずかに残っている新入社員時代の記憶をひも解くと、やはり、Kプロが書いているような支店営業の状況というのは間違いなくありました。Kプロは少し誇張して書いているんだろうというようなことを言う人がありますが、Kプロはむしろ抑え気味に書いていると私は断言できます。私が社会人になったのはKプロより1年早いだけですから、ほぼ同世代といえるでしょう。私の場合は某ニッコウ証券というところに就職したわけですが、最初の配属が兜町支店でした。当時のニッコウは、「ノムラに追いつけ追い越せ」をスローガンにガンガンやった後で、社員が大量に退社して全社的に疲弊していた時期だったので、その反動で、新入社員に対してはそれほど厳しいノルマは課されてはいませんでした。それでも数ヶ月もすれば否応なしにノルマはやってきます。


「数字=人格」の世界ですから、私のような出来の悪い営業マンは、もうはなから人間扱いしてはもらえません。そんな中で今でも鮮明に憶えているのは、Kプロも書いていましたけど、やはり「仕切り玉(ぎょく)」ですね。支店長や営業課長の裁量で前もって買っておいた株を、引け後、客にはめるわけですが、これがもう大変です。だって、引値はまず間違いなく支店が買った値段よりも低いわけですから。引値で客にはめ込んだら支店は売買損を被ります。そんな事ができるわけがありません。だって、支店は自己の勘定で売買することは許されていませんから。営業マンは、少なくとも支店の買値で客にはめこまなきゃいけないわけです。


「明日の朝、大材料を発表しますから、朝から買い気配間違いないですよ」なんて見え透いた嘘言って。それでもその一方で、「奇跡でも起きて、本当に朝から買い気配になってくれないかなぁ」なんて、100%あり得ないことに一縷の望みをかけたりして。でも翌朝になっても当然、そんな材料なんて全くどこにも出てなくて、そりゃそうだ、自分が勝手にでっち上げただけだもの。


私の場合は、そんな支店勤務に嫌気がさして入社一年後に課長に辞表を出したのですが、一応慰留されて、そしたら程なくして国際部に異動になって・・。気が付いたら、「株でバンザイ」に出演していました、って、こりゃちょっと端折り過ぎか。ま、どこの業界でも似たような「残酷物語」ネタはあるでしょうね。他の業界のことも知りたいので誰か書いてくれないかなぁ。(渡辺)

Vol.65 「証券マンの朝(3)」

T中が「わしゃぁ~いっぺんありますわぁ~~」と言った。(こいつの変な大阪弁はどうにも最後まで慣れなかったが・・・そんなことはどうでも良いが・・・)。


「寮のおっちゃんが、『T橋さんに電話がかかって来てる時にアナウンスしても降りて来ないんで、部屋にいるはずだから見てきてくれって』言われて呼びに行った事がありますわぁ~~確かに、その時、なんか知らんけど、えらい臭かった覚えはありますがぁ~」と言った。


T岡さんはケラケラ笑いながら…「そりゃそうだろう?お前見なかったか?部屋の中に一升瓶が何本も並んでなかったか?」って…


「えっ?一升瓶ですか?」「そうだよ!俺が見た時は5~6本並んでたなぁ。あれ全部おしっこだぜぇ~~あのおっさん、ションベン行くのが面倒なんで、部屋で一升瓶にして溜めてんだぜぇ~~きっともう10本以上あるんじゃねえかぁ~~」って・・・そんなことってあるの?


「とにかくあのおっさんは、面倒くさがりやでな。毎晩飲んできて、風呂も滅多に入らないし、おそらく一週間にいっぺん位しか入んないだろうな。で、トイレも部屋から出るのが面倒だから一升瓶に溜めちゃうし、大きい方だってきっと風呂に入って、【もよおしたら】面倒なんで風呂でそのままするんだろうな。そりゃぁ~有名な話だぜぇ~~~」


「でもな、あのおっさん確か慶応のダンス部出身らしいぜ!ソーシャルダンスだってよ!見えるかぁ?それに着替えもほとんどしないし、靴下なんか1週間履きっ放しなんてしょっちゅうらしいぜ。俺の同期が本店営業部にいるんだけどとにかく強烈な匂いで、それでも仕事は出来るらしいって、一時Y田課長とトップを争っているのも聞いてるが、まあ変態の一種だろうなぁ~~」って。


信じられない事実だが、確かに後日、T中と同じように電話を呼んでも出てこないのでT橋さんの部屋に呼びに行った時に筆者も「禁断の花園?」に踏み入れたことがあった。それはなんとも言えない匂いが充満した部屋であった。彼が犯人であることは我々の寮では誰も疑わなかったが、本当に事実であったかどうか現場を見たものは誰もいなかった。


「だから俺は朝シャワー浴びたい時には絶対風呂の中には入んないだよ」ってT岡さんが真顔で言った。同じようにほぼ毎日朝風呂に入り、風呂で顔を洗って、そのまま寝てしまう癖のあったN野は、タクシーに乗っている間中、気持ち悪そうな顔をして一言も言わなかった。我々は、その後、一度も…朝風呂には入らなかったことは言うまでも無い。(この章終わり)


Vol.64 「証券マンの朝(2)」

裸になって風呂場に入り、眠気を振り払うためそのまま風呂に飛び込んだ。目が十分に目覚めていないので少し温めのお湯の中で数分ぼお~っとして目覚めてから、おもむろに風呂を出て体を洗うため洗い場に行った。そうしている時に同期のT中が風呂場に入ってきた。


T中が「おう!K村、おはようさん。眠いなぁ~~」って呑気な挨拶をして彼もそのまま風呂に飛び込んだ。その時私は体を洗っていたが…突然、彼の雄叫びが聞こえた。「なんじゃこりゃぁ~~~!」と…


「K村!!こりゃ~~~ウンコだぜぇ~~!」って…

私もびっくりして目が覚めて風呂の中を見ると、なんと風呂の中に大変立派なウンコが浮いていた。


その時の我々の驚きは並大抵のものでは無かった。とにかく気持ち悪いのが先になり、急ぎ風呂を出て、そして着替えてタクシーを呼んでその日は出勤したが、後日この事件の全貌が明らかになることになった。


余談だが…入社当初は最寄の駅の西馬込まで20分近く歩いて真面目に電車に乗って、新橋で乗り換えて通勤していたが、だんだん先輩を見習って堕落して、寮から荏原無線タクシーを呼んで、近くの駅の西馬込まで行き、その後電車で行っていた。が、だんだん仕事が遅くなり、帰りに飲んで帰るようになったりして疲れが溜まってくると面倒になって、同期3人と同じ寮に住んでいたT岡店内主任と相乗り割り勘で、タクシーでそのまま虎ノ門まで行く事が多かった。この時覚えたタクシー癖はノムラを辞めるまで直らなかった。


さて、朝の「大きな落し物事件」はとにかくショックだった。いったい誰がこんな非常識なことをするのか?と考えて見たが、T中と私はとにかく興奮していて誰かに話したかった。


タクシーの中でT岡店内主任に話すと、「あっはっは!そんなのT橋さんにきまっとるだろうぉ~~」って、開口一番彼は笑いながら応えた。「だって俺なんか毎朝シャワー浴びるから何度も見たぜぇ~お前等知らなかったのか?この寮じゃ有名だぜぇ~~おう!K村!お前、あいつの部屋に入った事無いのか?」って…


だったら…先に教えてくれよぉ~~~(続く)


Vol.63 「証券マンの朝(1)」

証券マンの朝は早い。場が9時から開くため確か正式な社内の勤務時間は8時30分からだったと思うが、誰もそんな時間にノコノコと来る奴はいない。新入社員の頃は特に7時過ぎには会社に入り、遅くとも先輩や上司が出勤してくる8時前には、朝の準備を整えて置くように指示されていた。


通常は寮で5時半過ぎには起きて支度を開始し、同じ支店の同期の連中と一緒に揃って、寮の管理人のおじさんに荏原無線タクシーを呼んでもらい駅まで相乗りで出かけた。


寮は当時ノムラでは一番古い大田区にある寮で、6畳間であったが一人一部屋を与えられていたので、まさか社会人で2人部屋などの相部屋では無かったので助かったが、別な支店勤務の同僚には当時都内の寮で相部屋の寮もあったから、まだ我々は恵まれていた。


当時私が住んでいた大田区の寮は、我々虎ノ門支店や大森支店、蒲田支店など近くの近隣の支店勤務の者の他、ほとんどが本店勤務の者で占められていた。本店営業部、市場部、海外投資顧問室など様々な部署の先輩がおり、休日の日程度しかあまり話が出来なかったが、様々な部署の先輩と話をすることもあり支店とは全く異なった彼等の業務内容に少しずつ触れる機会もあり、徐々にこの会社の全貌のようなものも見えてきた。


冬場の朝は寒くてそんなことをしている訳にはいかなかったが、夏場は風呂は共同で銭湯のような割と大きな風呂があったので、少しぬるくはなっていたが朝風呂に飛込み目を覚まして出かける事もしばしばあった。そんな日、その事件はおこった。


夏のある日の朝、眠たい目を奮い起こして起き風呂に行くと、本店営業部のT橋さんとすれ違った。この先輩は名物男で彼の武勇伝を上げるとキリが無い程の有名人であったが、新人の頃そんなことは知る由も無い。「おはようございまっす~」と、すれ違いざまに声を掛けたが、元来この男常識と言うものは持ち合わせていなかったようで、完全に無視されたことだけ記憶しているが、まあ朝は機嫌でも悪いのだろうと思った程度だった。(続く)