震災から13年。
住んでいた場所、

そこからちょっと足を延ばした先、
行ったことがある場所が津波に飲まれる様子は、
いまだに頭の中ではっきりと再生され、

決して忘れることができないトラウマ。

 

なぜこの日にふと想ったか?
理由は分からない。

理由なんて必要ありますか?

不謹慎とか、

節度がないとか、

非常識だとか、

思う方も中にはいるでしょう。
別に、意図したわけではありません。

結び付けたわけではありません。

そう思う方はご自由になさってください。

だけど、あえて言えば、

震災の時、茨城県に住んでいたから。

強いて言えば、

本当は生きたかった人たちが、急に命を失われたことが辛く悲しいから。

 

 

明日があったはずの人たちの明日がなかったこと。

それが分かったあの日は、

当たり前のように翌日を迎えた私たちと、
当たり前のように翌日を迎えるはずだったのに迎えることができなかった人たちと、

予期せず世界を真っ二つに分けられ、

状況が理解できず、わけがわからないまま呆然と立ち尽くし、

ただ涙がひたすら流れた日だったな。

 

当たり前のように翌日を迎えた私たちは、

翌日を迎えるはずだったのに、迎えることができなかった人たちがいたことを気付かされ、
置いていかれたような、取り残されてしまったような気持ちに圧倒され、

今後、私たちは、この混乱した気持ちとどう付き合っていくのか、

涙が止まる日はあるのだろうかと途方に暮れた日だったな。

 

何年経っても、記憶が色褪せることはありません。

いまだに、自らの選択だったとは、信じられません。

また会う日まで。