春馬くんの時にもたびたび読んでいたこちらのサイトなのですが、
今回の記事には衝撃を受けました。
信用ならぬ文春が出した記事を支持し、
特定の人をこれでもかと追い込むような内容で、
こちらのサイトに対してのイメージが低下してしてしまいました、、、
前山さんをかばうつもりとかではないけれど、
これを読んだ人々は、前山さんに会ったことのない人々がほとんどのはず。
前山さんに会ったことない人々が、
↓以下の内容を読んで、どう思うか?
前山さんは神田さんと交際をスタートするにあたり、それまで同棲していた彼女・A子さんへ別れを告げ家を出るよう指示。 その後の引っ越し手続きやA子さんとのやり取りは、実母にやらせていたとのこと。
「すでに、前山さんのご実家が裕福で、前山さんが上京する際にはタワマンの部屋を買ってあげたなどの金持ちエピソードはいくつも報じられていましたけど。
今回の文春には、前山さんの妹の証言で、前山さんがかなりの“マザコン”だったことを伺わせるエピソードが書かれていました。
失礼ながら、私は今回の騒動で前山さんのことを初めて知りました。
つまり、私は前山さんのことを何も存じ上げてなかったので、
この記事が出る前の前山さんに対する事前イメージというか、
私の中での前山さんという方のイメージは皆無だった。
私のように、今回のことで前山さんのことを知った人もいるのではないか。
こういう記事を出されると、
あー、前山さんってそういう人なんだね、最低なヤツ。
と、印象を植え付けられる人々がたくさんいることでしょう。
何も書かれていない、真っ白なキャンバスを持っていたのに、
それを不意に真っ黒の墨で塗りつぶされて、
もう、どんな色を混ぜても修復不可能。
文春のしたことは、そういうことではないでしょうか。
これと似ているのが風評被害。
ありもしない風評を流され、
その店に行ったことのない人々が、
風評を鵜呑みして悪印象を持つ。
風評被害のせいで、瞬く間に店がつぶれる。
店主は、自分の運が悪かったと開き直れるか?
その風評は全て嘘だと訴えたかっただろう。
でも、世間はあの店はダメだの一点張りに固定され、
店主が訴えるほんの少しのチャンスすら許さない。
ほんの少しの隙さえも、世間は店主に与えない。
店主は、ただその悔しさにじっと耐えることしかできず、
悔しくて悔しくて、怒りのやり場がないだろう。
ありもしない風評被害のせいで大きな借金を背負い、
自ら命を絶つしか方法のないところまで追い込まれる。
私も、子供の受験合否結果を巡って、
不合格だった子の母とそのママ友同盟の目の敵にされ、
理不尽な嫌がらせを受けた。
大してしゃべったことない保護者に、私の悪評を言いふらされた。
大人になっても精神が成熟していない子供おばさんから、
「あの人は裏表がある。あの人と話すと利用されるから親しくしない方がいい。」
と、自分自身のことを私になすり付けたような悪趣味な噂を流され、
それがガン細胞の分裂のように広がり、
その噂が、最終的には私の耳に入ってきた。
全く話したことのないお母さんたちから、
私がまるで犯罪者のような、蔑んだ目で見られる。
私が一体何をした?
具体的に何をした?
抽象的な噂だけ流して、
具体例は挙げられないのか?
なぜそんな嫌がらせをされなければいけない?
話したことのない人の心の中にある私のイメージは、
すでに真っ黒なの。私は何もしていないのに。
あちらのお子さまが受験に不合格だったのは、うちの子が受かったから、
とか、は?意味わからんし!ってかんじの理不尽な妬み嫉みの延長上で、
子供おばさん集団から、私はありもしない悪評を流された。
知らない人から、蔑んだ目で見られるって、すごくすごく悲しいです。
だけど、耐えました。なぜ耐えられたか?
実際、最近まで、この低俗集団に惑わされて、気を取られて、
私の貴重な人生の時間を無駄遣いしてしまっていましたが、
そんな時でさえも、私がその状況に耐えられたのは、
私には、私のことを分かってくれる家族や友人たちがいるから。
私には、本当の私を知ってくれているブレない味方が付いていて、
私をいつもサポートして、ガードしてくれるから。
彼らの存在は、何よりも心強い。
そして、低俗で有毒な子供おばさん集団に洗脳され、
子供おばさん集団の言うことを鵜呑みしているお母さんたちは、
所詮、そういう子供おばさん集団と同等レベルの人たちだと思うから、
そういう人たちは、私の人生にはそもそも不要。
その人たちが、私と話したこともないのに私に悪印象を持っていて、
私が彼女たちと親しくなる可能性が皆無でも、
私の人生にはまったく影響はない。
その噂に惑わされず私に話しかけてくれた人や、
私のことを理解してくれて、私と楽しく会話をしてくれる家族や友人たちがいるから、
私は悪に負けず過ごせるのです。
つまり、何が言いたいかというと、
①自分を持ちましょう。
自分自身の考えを持ちましょう。
他人に流されない。
他人の評価に自分の評価を上書きされていませんか?
他人の評価に、自分の評価を操られていませんか?
話したことも会ったこともない、何も知らない人に対して、
他人が流した噂や悪評に支配されて悪印象を持つのではなく、
その人の評価は、自らその人に向き合い、自ら下しましょう。
他人が流した噂や悪評に洗脳されないように。
②自分にとって大切な人をいつもサポートしましょう。
もしも前山さんの友人が、
前山さんはそういう人ではないよ、と公言してくれたら、
前山さんはとても救われると思います。
前山さんが、本当にそういう人で、
友人のふりをしていた人しかいなかったのなら、
自業自得なので仕方ないですが。
前山さんのことを知らない人間には、
丸山さんのことは評価できないし、評価する資格はないので、
こればかりは、前山さんを大切な親友だと思う人がいてくれることを
願うことしかできません。
事務所も、所詮、俳優は商品としか思っていませんからね。
見捨てるときには、無感情に見捨てるでしょう。
春馬くんのような大物でも、あんな酷い冷遇なのですから、、、
そして、あくまでも私の判断ですが、
③悪口、悪評、悪いうわさを平気で流す人は、精神レベルが幼稚園児で停止している人。
だと私は思っている。
言うまでもないですが、そういう人には絶対になっちゃだめだし、
そういう人に同調したり、仲良くすることは、時間の無駄、人生を損すると思う。
前山さんを擁護するつもりで書いたブログではないけど、
文春は私にとっては、マスコミの力を濫用し、
彼らにとって気に入らない有名人の噂を捏造し、
人格否定に匹敵するほどの悪い噂を瞬く間に世間に広める、
人権侵害タブロイド紙だと思っている。
文春の記事を鵜呑みしている人には、一呼吸置いて、
自分が週刊誌に惑わされ洗脳されているということに気付いていただきたい。
前山さんのことを知らなかった人が、
前山さんは最低なマザコンだって先入観を持たされていたら、
なんだかとても悔しいなって思うのです。
文春が作り上げた信憑性に欠ける噂に、人々が完全に洗脳され、
それが紛れもない真実のように鵜呑みさせられていること。
マザコンかどうかは、本来なら、本人と親交がないと証明できないこと。
私にとっては、今回、固有名詞で上がったのが、
たまたま前山さんだったに過ぎないことで、
私は、前山さんでなくても、同じことを訴えていた。
何を信じるかは個人の自由だし、
私には、文春を信じるな!という資格はないから、
あくまでも私の個人的な意見ですが。
前山さんは、舞台にもよく出られていた俳優さんですよね。
舞台俳優というと、常に過酷な環境で稽古に励み、
ストイックで、自己統制できる人じゃないと、務まらないのではないか?
そう思います。
私は、前山さんのこと、本当に何も知りません。
何も知らないからこそ、
罵声を浴びせたマザコン、ということを鵜呑みしてしまうのが、
なんだか腑に落ちないし、前山さんが気の毒だな、と思ってしまいます。
音声を聞いたという人は、文春のあの記事を書いた記者以外、存在しませんね。
音声、なんとなく探しましたけど、あるようには思えません。
たとえあったとしても、その気になれば、どうとでも捏造できますしね。
あの頃、赤の他人の死を、身内の死以上に打ちひしがれて、
自分は、ほんとうにおかしいのか、狂っているのかと思った。
でも、今思うことは、
私の無意識のうちに、春馬くんが、私の人生にたくさんの光を照らしてくれていたということ。
その光の明るさが自然すぎて、心地よすぎて、その光の明るさが当たり前だと思っていた。
その光が急に消えてしまったから、私は、前も後ろも分からなくなって途方に暮れてしまったんだと思う。
無意識な心地よさって、失わないと気付くことができないのでしょうか。
失って気付いた、心地よさ。
そして今、しっくりこない心地の悪さに悶え苦しむ。
恋しいです。