今年に入り、なるべくポジティブに。

心の持ち方を変えていこうと、少しずつ努力していたのだが、

私の心を救っていた儚い妄想に、ついに限界が訪れた。

 

始めから、そんな妄想には無理があることはもちろんわかっていた。

天久真のようにこの世界のしがらみから解放され、

彼はどこかで旅をしながら生きている。

そんな自分勝手な妄想をして、それを無理やり信じて、

無理やり前に進む努力をしていた。

しかし、そんな妄想をすることさえ断ち切られてしまった。

 

数日前、電車の中で、彼のお母さまの記事を読んだ。

自分の心臓の鼓動が、隣にいる人に気付かれてしまうのではないか。

そう思うほどの動揺で私の心は締め付けられ、電車に乗っていられなくなり、

途中下車し、鼓動を落ち着かせるのに必死だった。

 

お母さまは、彼の最期の顔を見ることができたいうこと。

それが現実であると、ついに突き付けられてしまったかんじがする。

私の妄想もこれが限界。

私が今まで逃げていた現実。

その現実からもう逃げられないんだと突き付けられたかんじがする。

 

ここ最近、考えても仕方のない答えのない疑問を考えないように努めていた。

だけど、その日から、また、色々と考えてしまっている。

永遠に解決しないだろう疑問ばかり。


別に、それはお母さまに対する苦言ではない。

むしろ、息子を奪われ、どんなファンよりも、誰よりも、

いちばんつらいのはお母さまであるのだから。

彼の最期に立ち合い、真実に直面させられたお母さまの気持ちを察すると、

心が締め付けられてしまう。

 

そりゃ、言いたいこともたくさんたくさんあるでしょう。

でも、何を言ったって、彼は戻ってこない。

だから、言っても仕方がない。世間を騒がせるだけ。

だから、今までじっと我慢されていたんだと思う。

我慢して、我慢して、今、ちょっと爆発してしまっただけなのに、

話しすぎだ!とお母さまが世間から攻められているのは、いたたまれなくなる。

世間を騒がせるから、今までじっと黙って、たくさん我慢されて、辛かったと思います。

私は、蚊帳の外の人間だから、自由に言いたい放題ブログに吐き出してきたから。

あの日から、ブログには私の頭の中にあるモヤモヤをいっぱい吐き出してきた。

頭の中を少しでも整理して、少しでも受け入れられるように。

私でさえそうなのだから、息子を失ったお母さまが、

言いたいことがたくさんあるのは当たり前のこと。

 

記事に対するコメントを読んでいると、ため息ばかり出てしまう。

私も人のことは言えないが、好き勝手なコメントを読んでいると、とても複雑な気持ちになる。

違和感だとか、嘘だとか、、、

 

何が本当で、何が嘘か、なんてはっきり言って誰にもわからないよ。

ウソを言っている人が白状しない限り。

でも、

彼女が彼のお母さまであるということ。

これは真実。

彼女がいなければ彼がこの世界に生まれてくることはなかった。

だから、私は、彼女を尊重する。

 

そして、同じ母親の立場として考えると、

彼女の息子を想う気持ちは、痛いほどに理解できてしまうから。

 

人それぞれ思うことがあり、思うことは様々だと思う。
人それぞれ、育った環境が異なり、

老若男女、十人十色、みんな様々な人生を送ってきたわけだから、

千差万別の考え方が生まれ、好き勝手なコメントになるのは当たり前のこと。

自分を基準に捉えてしまうことによって、

自分と他人に差異があると、他人に対して違和感を感じてしまう。

自分が普通で、他人が変だ、と。

でもそれは、自分にとって馴染みがないだけであり、

その人にとっては、それが当たり前でそれまで生きてきたんだと思う。


もしも私が母になることを経験しなかったとしたら、

彼女の発言に対して、もっと違う感じ方をしていたと思う。

まだ独身だった頃の私だったら、彼女の発言は、

いい年の息子から、いまだ子離れできていない残念な母親。

と思ったかもしれない。

しかし、彼女と同じ母という立場にある今の私は、

もし自分が彼女の立場だったらと考えると、

たとえ、他人からは自分本位な考え方だと言われようと、

彼女のように考えたくもなるだろうと思う。

 

「本当は私に会いたいけど、会いたいって言えなかった。

連絡を取りたかったけど取れなかった。

それを言ったらまた周りに騒がれるから。

彼には意地もあったでしょうし。」

 

お母さまから見た親子関係と、

彼から見た親子関係は、

必ず違うはず。

今は残念ながら、彼から見た親子関係を知ることはできない。

お母さまが語る親子関係が、自分本位になることは仕方がない。

お母さまの主観だから。

彼は若いころ、自分の母親をかわいいと言っていたし、

母親を名前で呼ぶとも言っていた。

 

世の中には、これが標準の形、というのは、実は存在しない。

親子の関係というのは、例えばサザエさんとかクレヨンしんちゃんとか、

人々はテレビの影響をものすごく受け、

テレビで観る家族像というものをついつい世間一般化してしまっているけど、

親子の関係に標準の形など存在しない。

だから、他人の親子関係が変わってるとかいうのは、

それは自分にとってありえないだけなんじゃないか。

我が家の親子関係だって、私にとってはそれが普通だけど、

他人から見たらかなり変なんだろうな、と感覚的に思うところがあるから。


携帯の番号を変えたのは、事務所の指示だったんじゃないか。

例えば、事務所にモンスターペアレント的な扱いをされ、

事務所も周りの俳優も迷惑しているんだ!

わかるだろ?家族のプライベートなことで、周りにかなり迷惑かけていることを。

周りの迷惑を考えて、母親との関係を断ち切りなさい!

そんなふうに言われたらどうだろう。

彼のような責任感の強い人間だったら、

そんなことを言われれば、自分の気持ちを押し殺して、自分に嘘を付いて、

母親に、「迷惑だからいい加減にしてくれ。」と言ったかもしれない。
 

杉村春子賞を受賞した際、

彼は、家族のおかげだと言った。

それ以外でも、お母さまと連絡が取れていなかったとされる5年以内で、

彼はたびたび、家族のことを話題に出していた。

それは、事務所に言わされたのか、

もしくは、連絡を取っていなくてもお母さまのことをいつも想って、

家族を想ってついた彼のやさしい嘘だったのか。

そんなことは分からないが、彼の性格が、私に色々と考えさせる。

人の性格は、先天的なものに加え、家庭環境や親の影響も大いに受ける。

彼の性格は、お母さま譲りなのかもしれない。

 

誰にでも親切で、人に決して迷惑をかけまいとする責任感の強さ、

彼のような穏やかできれいな性格の持ち主が、

昔、仲の良かった母親に対して本当に絶縁を突き付けたのか。

 

私が行き詰っていた時、母が私に言ったことばがある。

「あなたが何歳になっても、あなたが私の子供であることは変わらない。

あなたがいい大人になっても、私はあなたの母親である以上、

あなたを心配する気持ちは、あなたが子供だった頃とずっと変わらない。

いつも、大丈夫かな、とあなたのことを心配ばかりしている。」

 

当時の私は、母が安心できるように、なるべく心配をかけないように、しっかりしないと。

母に心配かけたくないから、母に頼らないようにしなければと思った。

今、自分が母の立場になり、母のことばに対する解釈が、がらっと変わっている。

あの時、母に頼るべきだったのかもしれない、と。

母の立場である私が、我が息子に思うことは、

辛いことがあったら私に頼ってきてほしいと思うから。

 

「とてもストイックな性格だから、

周りがいろいろと助けようとしても心配をかけまいとしちゃうの。

だから、あの子の中には吐き出せない気持ちがずーっと、

7年前からあったんだと思う。

結局、その時の病気がずっと治っていなかったんだと私は思っている。

亡くなった原因も、それが大きかったんじゃないかと……

彼が亡くなった一番の原因は、私がそばについていられなかったこと。」

 

お母さまがそばにいられなかった状態が5年も続いていたとしたら、

本当の彼の状態、実際は彼に何が起こっていたかというのを、

お母さまは知る由がなかっただろう。

お母さまは、彼が亡くなったのはうつ状態にあったからだと思っている。

確かに、「僕のいた時間」以降、彼の印象は全く変わってしまった、とは私も感じる。

お母さまはきっと、彼が自ら死を選んだと思っているのだろう。

だから、お母さまから検死を依頼することなく、検視のみで終わってしまったのだろう。

葬儀を早く済ませないと、マスコミが嗅ぎまわり大騒ぎになる。

さっさと済ませるようにと、事務所が急かしたのかもしれない。

 

結局は、それはすべて事務所の思い通りになってしまったのではないか。

検死していたら、何か違うことが分かったかもしれなかったのに。

さっさと葬儀を済ませて、証拠隠滅してしまった今、何も分からない。

 

発見時の様子や報道が二転三転すること。

遺書があった、から、なかった、に報道が変わったこと。

葬儀を超速で済ませたこと。

あの日の報道は、未だに理解しがたい。

彼が発見されたときにあったとされる手帳、

その他には何もなかったのか?

お母さまが近くにいらっしゃらなかったなら、

事務所が訴えられる危険性があるものを、マネージャー等が事前に全て破棄し、

証拠隠滅していても誰も分からないわけだから、そうしていても不思議ではない。

自分たちの罪が訴えられないように操作しているのだろう。

それが二転三転という形で現れたのではないか。

私はやはり、事務所が信用できない。


あの悪趣味なドラマの途中で彼が亡くなったことも、いまだに理解しがたい。

ストーリー自体は、重いかんじでもなく、今まで彼が演じてきた役に比べると、

比較的軽く、ストレスが少なめの役だったような気がする。

他の演じてきた役を振り返ると、だんだん気が滅入ってくるつらい役もたくさんあったし、

もしも自殺だったとしたら、そういう役の途中で、、、の方が納得がいく。

やはり、別の何かがあったような気がしてならない。

あの、木村なんとかというやつも、ほんとに信用ならないし、

あの事務所はやはり信用できない。

 

責任感が強く、人に迷惑をかけることを避け、ストイックで、

人が良く、頼まれたら断れない彼の性格。

全て引き受けるしかなかったのだろう。

彼が引き受けるしかなかったのは、

事務所に弱みを握られていたからなのかもしれない。

やっつけ仕事だっただろう。だけどそれを完璧にこなしてしまう彼。

まるで機械のように精密に、奴隷のように過酷に、

彼は事務所の言いなりで、結局、彼の命は犠牲になってしまった。

あの事務所は、彼の性格に付け込んで、

彼のオールマイティーな才能を無駄使いし、

彼を事務所の奴隷扱いで働かせた。

あの仕事量は尋常ではない。

人がこなす仕事量の限界を優に超えている。

彼に人権を与えられていたのか、と疑問に思うほど。

 

それなのに彼は、常に完璧に演じ、自分よりも共演者を常に気遣う。

touristでエライザちゃんに、

殺人的なスケジュールなのに一言も弱音を吐かずがんばってる彼女は凄い。

というようなことを彼は言っていたけど、

彼が共演者に発する言葉全ては、彼自身が身をもって感じているからこそ、

彼にはそういう気遣いができたのだろうと思う。

そんな気遣いができてしまうから、彼には余裕があるように見えてしまったのか。

本当は、自分がいちばんパンパンなスケジュールだったのに。

ふつうに考えたら、度を越してやりすぎのスケジュールだ。

彼に仕事を持ちかける前に、事務所の方でセーブするべきだったと思う。

あれだけお抱えのアーティストがいるというのに、なぜ彼を集中攻撃だったのか。

事務所はなぜ、何のためらいもなく、

彼に次から次へと、掛け持ちも当たり前で仕事を送り込んだのか。

ほんとうに理解に苦しむ。

 

彼の親友や尊敬する人との共演と言って、

彼をさらに断れないような状況に追い込んで、

彼が断われないことをいいことに、奴隷さながら働かせていた。

彼の出演するドラマや映画に、ちょくちょく彼の親友を登場させ、

彼の親友をも利用しているようにしか見えなかった。

そんなことされたら、彼の性格上、親友たちを心配させたくないと思うから、

本当は相談したいことがあっても相談することはなく、

親友たちを心配させないために、プロの俳優として完璧に役をこなしていたんじゃないか。

 

それなのに、なぜいまだにあの事務所は訴えられることがないのか。

警察庁のOBを抱え込んで、訴えられない仕組みを前もって用意し、

グレーゾーンへ着地できるようにしっかり前もって対策している。

はらわたが煮えくり返る。

 

部屋にあった厚いメモ帳に

『死を考えている』という一文が遺されていた。

複数のページにわたり仕事に対する真摯な考えも綴られていた。

それを確認した捜査員は『真面目な人だった』

という印象を強く受けたといいます。

「僕の人間性を全否定するような出来事があり、

たちまち鬱状態に陥り、自暴自棄になった」

『死への願望を悟られないよう“ウソの笑顔”を振りまいていた。

毎日ウソをつき続けることの苦痛。

これこそ自分の演じた石村の葛藤に近いのではないか』

 

初期によく報道された、手帳に記されていたとされる内容。

これが本当だとしたら、いったい誰の情報なのか?

捜査員が漏らしたのか。

捜査員には個人情報守秘義務があると思うが、

これが本当だとしたら、完全に法に触れている。

こんなことを漏らしていいものだろうか。

そう思ったものだ。

 

でももしもこれが本当だとしたら、

彼は、私たちに見せている彼自身の姿ですら、

演じていたウソの姿ということになるのか。

彼が言ったこと全て、彼の本心ではなく、

彼が演じているウソの彼の姿が言っている言葉であるということになるのか。

だとしたら、彼の本当の姿を見た者は誰もいないということになるのか。

彼は自分自身に偽って生きていたということになるのか。

だとしたら、彼は一体、誰のために生きていたのか。

自分自身のために生きたことは一度もなく、常に人のために生きていたということなのか。

そんなことを考えると、心が痛くて痛くて、彼が残した作品を観ることさえも辛くなってしまう。

どうか、どうか、それだけは決してなかったことを願って、

役を演じている時以外の彼の姿は、真の彼の姿であり、彼自身であったことを願って、

例えば彼が杉村春子賞を受賞した時は、彼の本心で喜んでいたことを願いたい。

私はやはり、彼が自分で命を絶ったとは信じたくはない。

彼の残した、希望に満ちた言葉の数々が、全てウソだったとは思いたくはない。

 

何が本当で、何が嘘か、なんて、はっきり言って誰にも分からない。

ウソを言っている人が白状しない限り。

ていうか、そんなこと、考えても答えは闇の中だから、もうどうでもよくなってきた。

 

だけど、

この事務所が罪を犯しているということ。

それは紛れもない事実。

平然としているあのトップは、やはり悪魔の心の持ち主だということ。

彼を奴隷のように扱い、使って使って使いまくり、最終的に彼をこの世界から奪った。

その罪は償ってもらわないといけない。