わざわざ映画館に行って映画を観るということが今までなかった私。

ネット配信やDVDが発売されるのを待つことが多かった。

そんな私が、天外者。2回観に行った。

 

映画の上映時間が2時間と、映画館への往復移動時間。

そもそも、そこに予定を合わすのも、なかなか大変。

それなのに、2回も行った。

私の中では、これはなかなかの快挙なんです。

予定を合わせて、もう1回ぐらい行こうかと思っている。

 

予定を合わすのがそもそも困難な上に、

重い腰の私が、こんなに動くのって、かなり珍しい、すごいことだよ。

私を映画館に運ばせたものは、一体何だろう。

 

もちろん、彼を惜しみ、彼に会いたい気持ち。

そして、彼が愛した&彼を愛した仲間たちに会いたい気持ち。

それから、この映画と、映画にかかわった人々への感謝の気持ち。

とにかく、この映画の完成と成功を応援したい。

そういう気持ちが、私を映画館に自然と運んだ。

 

なんとなく、彼が私たちを映画館で待ってくれているような気がして、

彼が私たちを呼んでくれているような気がして、

彼らしく、自分ではなく他人を想い、

「監督と、僕の仲間たちのすばらしい姿を、ぜひ見に来て!

五代を愛したたくさんの人々が関わってできた映画を、ぜひ見に来て!」

そんな風に言ってくれているような気がして。

彼の謙虚な気持ちに、ぜひ応えたい。

そんな気持ちが、私を自然と映画館に運んだのだろう。

 

映画完成までに7年の月日を費やし、

そこに、ほんとにたくさんの方々がかかわっている。

五代友厚という人物を愛した人たちが、

切なる願いを込めた7年間。

たくさんの方々が苦労し、完成に向けて、とにかく全力を尽くした。


リブログ、抜粋、失礼します。

 

「配給会社も製作会社もかなりマイナーな映画。

製作費・宣伝費は「三国志」の1/10だろう。

そんな環境にも関わらず映画としては地味ながらも五代の魅力、

思想を観客に伝えてくれる意義のある映画になっていた。

TOHOシネマ日比谷ではメインスクリーンで天外者を上映していた。

自社の「新説・三国志」より上の扱い。(新宿ではメインスクリーンに「三国志」) 

結果、週末の映画ランキング4位の好成績。「三国志」は、

東宝・日テレというコンビで大宣伝をして、

あれだけのオールスターキャストの映画で、2位。」

とのこと。

 

なんていうか、感動しかありません。

心が動かされる。

映画というと、華やかなイメージがどうしても先行するが、

この映画は、製作費・宣伝費ともに、かなり限られた中で、

撮影していたことがうかがえる。

 

例えば、

企画関連の技量20%、

撮影関連の技術量20%、

編集関連の技術量20%、

台本作成の技量20%、

キャストの演技量20%、

計100%に近ければヒット率が高いと考えた場合、

ヒット間違いなしと言われる華やかな作品は、

製作費がっつりで、企画、撮影、編集、台本のスタッフが揃った時点で

すでに答えが見えていて、あとの20%の演技の部分を抜いても、

すでにヒット確定しているということ。

言ってしまえば、俳優と呼ばれる演技のできる方々の、

誰が演じても、ヒットは間違いなく、演じる前からすでにヒット確定ということ。

 

しかし、製作費はたくさん割り当てられていても、

企画関連の技量20%、

台本作成の技量20%、

ここのへんが残念だったら、この時点ですでにー40%

俳優たちがいくら頑張ったとしても、

俳優たちにできることは20%アップさせるられるだけ。

後はスタッフの撮影技量、編集技量次第。

ここでマックス取っても、60%ぐらいにしか達しない。

進撃の巨人は、このパターンかな?

 

そして、そもそも製作費が少なければ、

撮影関連の技術量20%、

編集関連の技術量20%、

その辺は、やはりお金を掛けられないから必然的に低くなり、

(動画編集ソフトで例えると、Adobeを使うか、無料ソフトを駆使して乗り切るかみたいな)

スタッフ、キャストたちの技量とボランティア精神次第になってくる。

天外者は、このパターンだろう。

スタッフ、キャストと、そして一般の人々と企業の協力も大きな役割を果たし、

成功に導いたのだろう。

たとえば台本は、五代友厚プロジェクトの思いをそのままを運んでは、

映画の台本としては成立しないだろう。

プロの台本作成技量が求められるところだから、

監督を始め、スタッフやキャストも意見交換にかなり加わったと思う。

 

五代友厚プロジェクトを応援する人々や企業からの寄付、ふるさと納税、

ほんとにたくさんの方々の協力が大きな山となり、

7年もの長い年月をかけて、この映画が完成した背景を知り、

ものすごい苦労が伝わってきて、ますます応援したい気持ちになった。

 

有名な配給会社、製作会社による映画は、

ヒット前提でバーンと大きな製作費があり、

お金を好き放題かけて、何もかも豪華に作られている。

ヒット前提だから、素晴らしい映画ができて当たり前。

 

天外者の製作に協力した人々は、奉仕活動として参加されている。

前にも述べたが、五代塾の川口さんは、退職金をはたいて、

500万も寄付をしていらっしゃる。

天外者のキャストたちは、ほとんどギャラがなかっただろう。

にもかかわらず、キャストたちが、人気者、大物ばかりで、

ギャラがほとんどないだろう作品のオファーを快諾したという点も、かなり好感が持てる。

それでもこの作品に協力したい、この作品に出演したいと思い、

オファーを快諾した俳優たちは、私は本物のプロだと思う。

 

彼は、田中監督からの五代役のオファーを快諾し、

撮影が始まる2年前から、忙しい時間の合間に、五代について学び、

たくさん本を読み、儒学を学び、殺陣を練習し、五代役に備えている。

この2年間の準備は、彼が自発的に行ったこと。

それは彼にとって、もちろん苦ではなく、むしろ自分磨きであり、自主勉強であり、

彼はきっと、次第に五代という人物に惹かれ、自分が演じる人物に愛着を感じながら、

充実した2年間を送っていたのだろう。

この映画のために彼が費やした時間を時給に例えると、

高校生のバイト代よりも安い計算になるんじゃないかな。

それぐらい、彼にとっては、お金ではなかったってこと。

 

「完全燃焼しました。
今回の作品に悔いはない。
一生懸命できました。」
天外者のクランクアップ後、彼はそう語った。

彼は、この映画に全力を尽くした。


世の中の半数以上は、お金で動く人間だろう。

きれいごとは言ってられない。

それは、その通りであり、

生活のために犠牲にしなければいけないもの、

諦めなければいけないもの、

そういうものと葛藤しながら、人々は生きている。

時間は有限だから、人間、やはり効率がいい方を選ぶ。

やりがいよりも、時給が高い方を選びがち。

きれいごとは言ってられないのは、仕方がないことだと思う。

 

しかし、あの業界の者たちは、決してお金に困っている人たちではない。

お金で動く、お金で動かされる、つまり、お金に狂っている人たちかな。

お金は十分あるにもかかわらず、お金に盲目になっている人たち。

あの業界の中に、ギャラよりもやりがいを選ぶ人間がどれぐらいいるものか?

やりがいか、お金か。あの業界にはどっちを選ぶ人が多いか?

大物といえば、ギャラ。

多額のギャラなくして動く大物はいない、というのが私の偏見。

 

犯行に加わった者たち、事務所の上層部やカネ恋の監督、

アイツ等は、そもそも「やりがいか、お金か。」なんていうのは論外。

あのTwitterとかインスタとか、ほんと、吐き気を催すほど、信じられない。

やってはいけないことを、お金が入ってくるなら喜んでやってしまう、

金のためにはモラルなんて一切関係のないお金の亡者。

世の中には、そういうやつが一定数いるということ。

そういう今だけ、金だけ、自分だけよければいいという、お金の亡者たちによって、

お金に左右されず、自分の信念を貫いて真っ直ぐ清く生きてきた彼を奪われたこと、

どうしてそんなことにならなければいけなかったのかと思うと、

理不尽で、憎くて悔しくて仕方がない。

 

私は、彼の真っ直ぐな姿が好きだった。

彼はいつも謙虚。

利他の心をとても大事にし、常に自分より他人を気遣う。

やりがい、自分磨きに時間を惜しまない。

お金よりやりがい。それは彼の姿勢から見えてくる。

 

事務所のコントロール、圧力、いやがらせがある以上は、

自分のやりたい仕事ばかりをやれていたわけではなく、

自分が演じたいと思う役を、お望み通りに回してくれるわけでもなく、

彼でなくてもいいような、彼の無駄遣い的な役を演じていることもあり、

いやでも「はい」と返事するしかなかったのだろう、という役を演じていることもあり、

それは、はっきり言って、誰の目から見ても明らかだ。

 

高視聴率予想の華やかなドラマの主演や、

有力な配給会社、製作会社による豪華な映画の主演を

彼には回さない事務所の嫌がらせが、

彼が、名目上慈善活動の寄付の見える化を

提案し始めたあたりからかな?
2014~2016年ごろ?

そのあたりから始まっていたと私は思っている。

私の勝手な考えだけど、

進撃の製作に関わる者の中に、事務所の人間がいることからして、

進撃の酷評は、初めから計画されていたものだと思ってる。
私は、進撃は始めから計画された彼への嫌がらせだと思っている。

私は原作を読んだことがなく進撃を観たから、

酷評コメントほどひどいようには感じなかった。

しかし、進撃ファンにとっては、思うところがあるのだろうというのは理解できる。

あの台本は、、、進撃ファンにとっては特に、

どうしてあんな台本になっちゃったんだろ?

って思うところはあるよね。

彼が亡くなってから彼に注目し始めた人が多かったのは、

最近の彼の出演作が、地味でぱっとしないものが多く、

そもそも作品自体が、残念ながら注目されなかったからかもしれないね。

それでも、どんな役であっても、彼は彼らしく演じ、その役に魂を吹き込み、

さすが!と思わせる演技をする彼の才能は、

隠しても隠し切れないオーラを自然と放っていたのだが。

もちろん、彼は、どんな役にも真摯に挑み、その役に関して勉強し、

その役を演じることを楽しみ、大切に演じていたと思う。
決して中途半端な失礼な演じ方はしない。

彼はそういう性格の人だから。

だからこそ、ぱっとしない役でも、

さすがだな!と思う演技をいつも提供してくれたのだが。

 

彼の才能を最大限に生かし、発揮させてあげられる場を提供せず、

嫌がらせなのか何なのか、誰でも演じられるような役を彼に回して、

彼こそ!という役を彼が演じるチャンスを与えなかった事務所のやり方が、

私はマネージメント会社としてほんとに最低だと思う。

 

キンキーブーツに関しては、殻を破って女装に挑戦して演じられる人は、

彼以外いない、今探してもいないよね。

彼しか引き受けない、彼しか引き受けられない役だったと思う。

だから、彼の望み通りに彼が演じることができた、数少ない役じゃないかな。

だからこそ、あの作品は、彼の才能が最大限に発揮され、

彼だからこそできた役だということを証明できたのだと思う。

 

どんな役でも存在感がしっかりある。

それなのに決して主張しすぎない絶妙な演技ができる彼、

私は彼のそんなさりげない演技が好きだったな。

 

天外者が、もしも有力な配給会社、製作会社による映画だったら、

彼は主演ではなかったのではないかと思う。

天外者は、もしかしたら事務所の誤算だったのかもしれない。

売れるわけないから、勝手にやらせておこう。

進撃のように、売れなかったことに責任を感じさせ、精神的に追い詰めてやろう。

そんな嫌がらせが、実はあったのかもしれない。

天外者は、超マイナーな配給会社、製作会社による映画で、

力関係からすると、はっきり言えば、ヒットに導くのは

かなりハードルが高かっただろう。

しかし、結果的には、スタッフ、キャストたちの「お金ではないプロ精神」で、

天外者を成功に導くこととなった。

 

天外者は、もしかしたら彼にとって、しがらみから逃れることのできた、

かけがえのない充実した楽しいひと時だったのかもしれない。

売れるわけないから、勝手にやらせておこう、

という事務所の、それこそ「井の中の蛙」的な先入観から隙が生じたことが幸と転じ、

天外者の撮影時に限っては、彼は事務所の監禁から逃れ、

自由に行動し、自分の素の姿で、仲間たちと質のいい楽しいひと時を

送ることができたのではないかな、と映画を観ながら、

彼の弾ける演技を観ながら感じ、心から、ほんとによかったなって思った。

彼が欲しかったもの、求めたものは、紛れもなくお金ではなく、

質のいい時間、自分が信頼する仲間との時間だったのではないかな。

 

現実の世界でも仲が良かった彼らの掛け合いが、

結果として、天外者の登場人物たちの間柄に絶妙に染み出して、

彼らの素の姿が自然な形で天外者という映画に映し出され、

見ていて心地よい、素晴らしい映画を生むことになった。

俳優たちが、何のしがらみもストレスもなく、自由に演じられる業界を

彼も望んでいただろうし、彼の仲間たちも、きっと望んでいると思う。

そんな日が来ますように。

 

マイナーな配給会社、製作会社による映画に、

彼をはじめ、旬の俳優たちが名を連ね、

それを、週末の映画ランキング4位に導いたこと。

今週もランキング9位。

映画館に行くと、知らない映画がほんとにいっぱいあるの。

そんなたくさんの映画の中で、マイナーな配給会社でトップ10に入るって、

ほんとにものすごい、ありえない快挙だと思う。

 

業界の、金の亡者たちよ。

天外者の快挙から学んでください。

お金ではないということを。

俳優たちが、しがらみやストレスなく、

親しい仲間たちと演じられる業界に変えていかなければ、

この先の日本のエンタメは崩壊するよ。

 

マイナーな配給会社、製作会社による映画に、

彼をはじめ、旬の俳優たちが名を連ね協力し、天外者を成功させたことは、

天外者が伝えようとしていたこと、まるでそのまま。

私たちに夢を与えてくれたような気がする。

大物たちが、お金ではなく人のために、

人々に笑顔を与えるために利他の心で動いてくれたこと、

彼らの好意によってこの映画に出演し、映画の成功に導いてくれたこと。

それって、実はものすごく大きなメッセージを含んでいると思う。

 

天外者を快諾した彼は、本物のプロであり、

彼を支えた仲間たちは、本物のプロであることを、

天外者という作品が語ってくれている。

 

天外者の配給会社、「ギグリーボックス」。

超マイナーな配給会社らしいのだが、

映画上映前の、あの箱から手足が飛び出して、ケラケラ笑う動画が、

私にとっては、かなり印象深くて、忘れられない。

天外者が、天外者を支えた皆様への恩返しとして、

皆様の今後の成功を、きっと導いてくれることでしょう。

 

監督が公開舞台挨拶で、よく語っていらっしゃったこと。

「主演の三浦春馬君にはこう伝えました。『今だけ、金だけ、自分だけ』そういう風に思っている人が今の世の中たくさんいる。ただ、そういう人とは対極にいる人を演じてほしいんだ。自分だけじゃなくて周りの事や人や、利他の心を持った、そういう主演を演じてほしいんだ。そういうことが必要な時代になるんだっていうことを、是非とも一緒に映画で伝えたい、伝えてほしいと」

「未来のことを考え、利他の心を持つことがこれから必要になる。天外者は、そのことを伝えるため、俳優やスタッフ全員で作り上げた映画」

 

限られた製作費で、監督、キャストたちの報酬はかなり少なかっただろう。

ボランティアに近かったかもしれない。

しかし、彼らにとっては、そんなことは重要ではないのだろう。

彼らが重要視したものは、お金ではなく、

思いを共にする仲間たちと一緒に演じることであり、

人々が、「この映画を作ってくれてありがとう、感動しました。」

と言ってくれることなのではないかな。

彼らの顔は、充実感で輝いている。

重要なのはお金ではない。

 

天外者に関わったすべての方が大好きです。

皆様の活躍を、これからもずっと応援します。

これからも、ずっと何年も何十年も先も、

学校のレクリエーションの時間とか、

地域の映画会とかで上映されたり、

この映画がずっと受け継がれていくことを願っています。