You Tubeに残された彼の姿。

Twitterにちりばめられた彼の言葉。

彼が訴え続けていたもの。

それは、自分の将来を確実に描いていた彼の計画とSOS。

彼の頭の中には、クリアーに自分の将来が浮かんでいた。

そして、その明確な将来を邪魔する悪魔たちが暴れ出し、

いつか自分に危険がふりかかることも、彼自身は知っていたんだろう。

 

死にたいと思っている人が、演技、歌、ダンス、殺陣、英語、、、

ありとあらゆる技を磨き、自分に磨きをかけようと思うだろうか?

私には、それがどうしても理解できない。

 

太平洋戦争下のアメリカに生きる日系アメリカ人一家の姿を描いた作品

『アリージャンス』でブロードウェイの舞台に立ちたいという大きな夢を抱いていた彼。

 

(殺陣を教わるのは)いつか海外で仕事をすることになった時のための準備。

日本人として刀についてや着物の着方、また、それぞれの所作や作法に関して

どんな意味合いがあるのか聞かれることがきっとあるはずなので、

その時のためにしっかり知識を入れておきたいと思いました。(『日本製』より)

と、日本の俳優であることも強く意識していた彼。

 

死のうと思っている人が、

自分の将来像をこんなに明確に描くだろうか?
私には、それがどうしても理解できない。

 

 

4年に1度の共演。

次は彼が32歳の時の予定だった。

 

「そのときに、また会おうね。」

 

(いつもの彼のあのクシャっとした笑顔で)

「メチャクチャ光栄です。

それまでにね、またいい俳優になんないと。

がんばろ。また共演できるように。」

 

「私も、4年後会うために。」

 

死のうと思っている人の口から、

いい俳優になんないと。なんて言葉が、さらっと飛び出すだろうか?

私には、それがどうしても理解できない。

 

彼はたくさん痕跡を残している。

自分の将来像を、明確に、そして様々な角度から語っている。

彼の残した映像を見れば見るほど、

彼の残した言葉を読めば読むほど、

自分には明確な将来があることを主張し、

「生きたい」と主張し、

自分の危険な状況を伝えようとSOSを出していたような気がしてくる。

 

仮に自分に何かが起こったとき、

本当は「生きたかった」ということを、

きっとみんなが気付いてくれる。

そう思いながら、様々な場面で、何度も自分の将来の展望を語り、

痕跡を残してきたのではないかという気がする。

 

彼が遺した痕跡は、彼が明るい未来を夢見ていたことを語っている。

私たちは知っている。

私たちは、彼の夢も、彼は自殺ではないということも、知っている。

 

それなのに、

彼はこんなにも痕跡を残して訴えているのに、

メディアは、足並揃えて自殺としか報道しない。

一つとして、自殺でない可能性があることを報道したメディアは存在しない。

世間では、私を含み、自殺でないと思っている人たちが多数存在する。

だから、自殺じゃない可能性を報道するメディアが

1件ぐらいあってもぜんぜんおかしくないのに、

むしろ、1件もないことのほうが怪しいのに。

そこの報道の仕方は、気持ち悪いほどに一致している。

手を加えなければ、こんな統一感は生まれないだろう。

 

しかし、その理由とやらは、各報道によってバラバラ。

自殺との報道は、完全一致しているのに、

その理由に関する報道に統一感がないのが、ますます怪しい。

あれやこれやと根拠のない理由を適当に取って付けている。

親族のせいにしたり、ほんと最低だよ。

そのくせ、事務所のマネージメント不備による過労っていう報道は全くされない。

おかしくない?

完全なる口裏合わせ。

完全なる報道規制。

完全なる情報操作。

 

全然説得力のない報道の数々。

一連の不自然な報道の仕方からして、

事務所がお金を使って「他殺」という言葉を、

メディアから完全に消しているのは明らか。

自分たちに非があると思わせる内容、自分たちが疑われる内容を

メディアから完全消去している。

そのために使われたお金の中には、

彼がそれまで事務所に貢献して生んだお金も含まれているだろう。

なんという皮肉。

あの悪い顔したトップが憎い。