国籍や人種に関係なく、反日感情を抱く人たちが、「反日家」。

つまり、反日家の中には、在日以外の人たちももちろん大勢いる。

純日本人のくせして反日主義という、理解しがたい人たちもいるぐらい。

だから、決して反日と在日を結び付けてはいけないと思う。

 

これは、親日俳優たちの不審死に関わったのが、

在日の反日家だったがために生まれた誤解。

反日=在日という誤解を、絶対にすることのないように、

ものすごく気を付けなければいけない。

在日の方々すべてを批判するのは間違っているし、

むしろ、関係のない在日の方々こそ被害者である。

 

そのような誤解をすることは、ものすごく危険なこと。

それは、今まで反日感情のなかった在日の方々までを敵に回すこととなり、

今まではなかった憎悪という感情が、その方たちの中に新たに生まれてしまい、

今までなかった敵意がお互いの間に生まれてしまう。

それはダメ、絶対ダメ、

いちばんやってはいけない最悪の過ち。

無駄に敵を作ることはやめましょう。

敵を増やすことは、何もいいことを生み出さない。

彼が残した遺志を受け継ぐためにも、

今やらなければいけないことは、

仲間を増やし、うまくやっていくということ。

 

私の友達にも在日の方はいるし、

子供の学校にも在日の方はいるし、

その方たちと話してても、何一つ私たちと変わらないし、

そもそも、在日という呼び名を使うことも、

在日という言葉を使ってわざわざ日本人と区別するのも、

本当は、ものすごく違和感があるし、

呼び方を変えることによって、

変な差別が生まれてしまうかんじが、ものすごく嫌。

 

そもそも、在日という呼び名を使わなければいけなかった理由は、

親日俳優たちの不審死にかかわったのが、

反日メディアを牛耳る、在日の反日家だったから。

日本人の名前を名乗り、姿格好も話す言葉も同じなのに、

日本に対して憎悪感を抱く人たちだったから。

 

自分たちのエゴで、簡単に人の命を奪い、

それを自殺と見せかけるこの悪魔どもだけは絶対に許さない。

こいつらのせいで、在日という単語を余計に使って、

便宜上、呼び分けることをしなきゃいけないことも腹立たしい。

そうやって区別することによって、無駄に敵を作ってしまうのも腹立たしいし、

それはそれで、反日家たちの思うつぼで、それも腹立たしい。

 

みんな日本に住んで、日本人の名前を名乗り、

姿格好も同じで、同じ言葉を使ってるのに、

在日とか日本人とかいう区別をするのは、なんか変。

だから、日本人の名前を名乗り、姿格好も話す言葉も同じ人たちは、

彼らが自ら区別してほしいと意思表示しない限りは、

私はみんな日本人と見なそうとおもう。

 

彼らがどういう経緯で日本に住むことになったかは、

彼らそれぞれで違うだろうから、その違いによっても、

反日感情あるなしが変わってくるんだと思う。

反日感情をあらわに攻撃を仕掛けてくる人たちは

反日家と呼んだらいいけど、

反日感情を表に出さない人をわざわざ区別した呼び方をして、

変に差別するのは嫌だなぁ。

仮に、悪魔に魂を売ってしまった人たちであっても、

反日行動を起こしていない人は、

みんな日本人だと見なそうと思う。

区別して分けるために使う言葉は、

もう、「反日」という言葉だけにしよう。

反日を理由にすれば何をしてもいいと勘違いして、

理不尽な行動をする人達は、反日家。