海外に行く日本人は、どんな夢、どんな目的を持っているのだろうか?

アメリカ人と間違えられるほどの完璧な英語を話すようになることが目的なのか?

アメリカ人と間違えられるほど、アメリカ人化することが目的なのか?

 

例えば、アメリカで活躍する日本のアーティストたち。

彼らは、もはや日本人ではないように見える。

アメリカ人のように英語を話し、アメリカ人のように振る舞い、

すっかりアメリカ人になり切っている。

 

日本について宣伝している人、

日本の伝統について語っている人、

私、見たことないような気がするけど、、、

いるのかなぁ?

アメリカに行った有名人を見ていると、

日本人というアイデンティティを捨ててしまったのか?

日本人じゃなくなったのか?というぐらい、

アメリカ人化してしまうような気がする。

 

アメリカで英語を話す日本人に、日本人っぽさがあるとダサい

という固定概念が、日本の中で一般的に存在するような気がする。

これって、実はマスコミによる洗脳?かもしれないよ。

 

例えば、シンガポールに行けば、

Shinglishという単語があるぐらい、

シンガポール人は独特の英語を話す。

そして、そのシンガポールなまりの英語を

ダサいと思っているシンガポール人なんていない。

これって、すごいことだと思う。

自分たちの国民性やアイデンティティを崩すことなく、

シンガポール人らしさをしっかりと主張して、

自分たち流にアレンジしたような英語を話し、

それを誇りに思っている。

ものすごくステキだと思う。

 

天外門監督と彼の会話より。

「“最近は海外に行く日本の役者さんも増えているけれど春馬くんはどうなの? 日本映画界だけ、日本のなかだけでやろうとしているの?”と僕が聞いたときに、“いや僕は海外に行きたい。役者として世界に出たいんです。英語も勉強しているし、中国語もだいぶ勉強したんです”というようなことは言っていました。

“そのためには日本の文化をしっかり勉強したい”とも。“武士道に通じる精神や考え方があるんじゃないかと思って”と、儒学を勉強しているとも言っていましたね。“だから監督、この映画もどこか海外上映とか、そういうのも考えてもらえませんかね”と、笑っていたのを思い出します」

 

これを読んだとき、

彼はなんて思慮深い方なんだろう、

私はそう思った。

 

日本が好きだと思うことはウヨ〇だという人がいるけど、

日本が好きだということに攻撃的な気持ちは一切ないでしょう。


ウヨ〇には、やはり過激な部分が目立つでしょう。

宗教の過激派も同じだけど、

ある崇拝対象を理由にして攻撃を仕掛けるのは、

崇拝対象に対してとても失礼なことであり、道徳的に間違っている行為。

 

愛国家とウヨ〇は、決してイコールではないということ。

誤解しないようにしてほしいなぁ。とおもう。

 

愛国家はダメだ、愛国家はウヨ〇だ、

みたいな愛国家に対する悪いイメージも、

実はメディアによって、人々の気付かない間に刷り込まれた洗脳だと思う。

自分が生まれ育った国を愛することができるって、ステキなことでしょう。

愛国家はステキだと思います。

私も、日本が好きです。

日本に生まれて、日本で育って、日本人でよかったと思っています。

 

日本人だからこそ、

日本が好きだからこそ、

日本の伝統や文化、

そういう、日本のいいものを海外に発信したい。

そう思えることって、すごくステキでかっこいいことだと思う。

英語を話していても、決して、日本人であることを忘れず、

英語というツールを使って日本の良さを伝え、日本のことを理解してもらい、

日本に好感を持ってもらおうと尽力していた彼を

私は日本人として尊敬しています。

 

彼の“将来の展望”から、彼の強い意思が伝わってくる。

そんな強い意志を持って言語学習に励んでいた人が、

志半ばで自殺するってことは、やはりどう考えてもありえない。