オリンピック選手になるには、確率的には数十万分の何人、
いやもっと狭き門かもしれない。
無理だ。
気が遠くなる。
大概の人はそう思う。
しかも、将来有望な選手だったのに、
もしかしたら、たった1度のケガで、
その道をあきらめなければいけないこともある。
その時の精神的ダメージは、ものすごく大きなものだと思う。
https://hochi.news/articles/20201010-OHT1T50021.html
りんたろーさん、本気でプロサッカー選手を目指していたらしいですね。
前十字靭帯を2度断裂し、サッカーを辞める決意をするも、
サッカーをやりやすい環境をひたすらに追求させてくれた両親を裏切ったような、と。
、、、何も言えない。
切ないです。
たいていの人は、何かの道のプロになる、
プロになるほど追究する、
ということは、気が遠くなり、諦めてしまう。
子どもを育てている私は、
我が子に、何かのプロになってほしいとは、
これっぽっちも思っていない。
なぜなら、一つのものに固執しすぎると、大きなリスク伴うから。
けがをしたとき、
それができない環境に置かれたとき、
選択肢は、「諦める」という事しか残っていないかもしれない。
その場合の精神的ダメージが計り知れないから。
我が子にはいろんなものを経験してもらい、
好きなもの、得意なものを見つけてもらいたいと同時に、
自分の苦手にも気づいてもらいたい。
そして、いくら好きでも、才能を見いだせないものは、
時には、そこまで、ときっぱり諦めるというのも大事だ、
ということを知ってもらいたい。
そして、また新しいものを探す。
さて、私が言いたいことは、
オリンピック選手やプロになることにこだわる必要はなく、
100人中で1番になれる得意を3つ持っていれば、
それを掛け合わせると、100×100×100=1000000
つまり、単純計算だが、100万分の1の才能の持ち主になれる。
すなわち、オリンピック選手やプロ並みの才能の持ち主になれるということ。
私が親として我が子に求めていることは、これ。
得意を3つ持つということ。
あることに熱中し、これ以上はもう無理!と思ったら、
それはそこできっぱりと諦め、他の得意を探す。
そして、それが3つ以上揃えば、かなり特別な存在になれる。
彼は容姿端麗。
これは、ありがたく持って生まれたもの。
そして、歌、ダンス(バク転なども含む高度なもの)、芝居、サッカー、外国語、笑顔、、、
得意が何個あることか?
もっとあるよね、ファンの方々なら、もっともっと挙げられるのでしょう。
ていうことは、はい、その通り。
彼は、プロ2人分、3人分、いやそれ以上の才能を持ち合わせた天才ということ。
彼は、日本代表として、生きなければいけなかった。
こんな偉大な方を失ってしまった日本。
大きな、とても大きな存在を失ってしまいました。
彼をずっと愛し続けた方々の悲しみの大きさが計り知れない。
その悲しみの大きさがまた、彼の才能のすごさを表します。
いくら、どうあがいても、もう彼は戻ってきません。
過ぎ去った時間は、二度と巻き戻すことができません。
だから、反省するべき人が、とても大きな存在を失ってしまったことに気付き、
深く反省し、後悔の心を一生担いで生きてほしい。
過去の過ちが、二度とを繰り返されることのないように。
ただそれだけを祈ります。
しかしながら、残念なことに、
あの過ち、
尾崎豊さんの時から、
依然として過ちが繰り返されているのが事実。
腹立たしくて、悔しくて、悲しいです。
簡単に自殺として処理された彼の死。
無念で、辛くて、悔しくて仕方がない。
私は、自殺とは思っていません。
あんな心の優しい彼が、
彼を大切に思っているたくさんの方々に、
こんなつらい思いをさせるとは思えない。
やり場のない深い怒りと悲しみがこみ上げ、
あの日から、時が止まってしまったように、
何も手に付かず、前を向けない人がたくさんいます。