柵の向こう側には高さ3.3m制限の標識。これが旧一級国道…?と疑いたくなる規格がこの隧道の寿命を縮めた原因なんだと思われる。
柵から150m歩けばこの区間のハイライト区間となる五十島隧道がみえてくる。
台形の形をしたスノーシェッドであるが、ここは高さ4.5mあるらしく隧道はさらに狭くなるようだ。
しかしこの面構え、道路上の土砂と相まって非常に美しい。
なぜかスノーシェッド内部にはチャリやら鍋等の生活用品が散乱していた。他所様のブログ等でこの手の物件ではよく見る"ありきたり"な展開であるが、廃道探索初心者の筆者にとっては、携帯の画面の向こうの世界でしかない光景を、今間近で見れていることにすごく感動したのを覚えている。
雪を凌ぐ設備であるために天候からの被害を受けにくく、内部は舗装やロードペイントがキレイに残されており(40年前に廃道化した物件にとって)、ここがかつて日本海と太平洋を繋ぐ一流幹線だったんだなと、この目で見て確かめることができた。
もう一度高さ3.3mの警告看板が見えてくると、真打の登場である。
しかし、このスノーシェッド…ひび割れ等の劣化がほとんど見受けられない。廃道化したのは1979年。廃道化直前にでも作られたのか?というぐらいである。
五十島隧道。高さ3.3mの警告看板は伊達じゃなくて、トラック同士の離合なんてとてもじゃないけど無理。
隧道上部には照明器具が取り付けられていたようである。部品がところどころ落下して放置されていた。
肝心の隧道はかなりのひび割れが確認され、路面にもその崩れたコンクリートの粉が堆積していた。あまり長居するもんじゃないなと思ったのでサッと足早に駆けた。
隧道区間を抜けると30mばかりのスノーシェッドが取り付けられていて、その終わりに徐行の標識が残されていた。
その先には見通しの悪いカーブが続く…が、今更徐行なんて看板意味あるのだろうか?それならスノーシェッド内に取り付けるべきでは…?
カーブが尽きると長いストレートとなった。阿賀野川沿いに植林されているのがなんとなく印象に残っている。
振り返って1枚。土砂が堆積して道としての機能を失ったが、黄色のデカい標識だけがここをかつて道路であったと伝えてくれる。
この先は水たまり地獄でスニーカーしか持ってきていない筆者には太刀打ちできないから引き返してきた。
あたりはすっかり明るくなり、奥には朝日に照らされた尾根の高い山々が顔をのぞかせる。雪を被った頂は美しい。現役時代はこの風景を運転席のフロントガラス越しに見えたことだろう。もっとも対向車の有無で車窓を楽しむ余裕はないのだろうが…。
1958年に五十島隧道含むこの区間が開通した。当時はこの規格が許された。だが、高度経済成長とモータリゼーションが日本にも到来し、徐々に時代に対応できなくなりこの隧道を捨てた。
かつてこの道路はどのような経緯で建設され、どの程度の交通量があったのか、どのようにして旧道・廃道化したのかを考えながら歩く廃道は楽しいし、そんな廃道を独り占めしているという事実…これこそが廃道探索を行う者にとっての最高の瞬間だろう。