博多での2年間が終了
この日も朝6:00-6:15でヨガライブ配信をして
朝6:30-7:00で鹿児島のホテルからトークライブ配信をして
朝7:00-7:15でセミナー動画を公開し
ホテルから鹿児島中央駅まで車で移動し、朝8:32 出発の新幹線で博多へ
あっというまに博多駅着
歩いてTKPまで向かい
この日は博多センターピース65期中級最終講
この期は初級の頃から仲が良く懇親会参加率も全国一
この日のテーマは「共存の人間関係」と
「パートナーシップ」
ターボさんの作ったテキストによるパートナーシップの解釈が素晴らしい
パートナーシップの本質がわかる。そして難しさもわかる。
僕は昼は味噌汁で過ごして
午後からもパートナーシップのワークと講義の続きをしたりして
パートナーがしてくれていた愛情表現を思い出すワーク
優しい表情になる
そしてパートナーへの感謝が溢れ出す
休憩時間は僕はスタッフのみのっさんとプリンを分けあって
両親からの愛情を思い出すワークをして最終講も終了
4ヶ月間の成長を振り返る
みんな本当によく通ったね
そしてよく中級まで来たね
終わりのハグ祭り
みんなありがとう
顔の怪我で1回目をお休みした思い出の期だった
みんな嫌な顔せず待っていてくれたのが嬉しかった
最後はサプライズの動画を披露してくれて
手作りのOh Happy Daysを流して
嬉しかった
この後は懇親会に顔を出してから、新幹線で鹿児島中央駅まで戻り、さらに車で霧島まで1時間かけて戻って、長い1日が終了となる
サグラダファミリア方式
パートナーシップは難しい。
仕事の方がシンプルだ。
価値提供すればお金が入ってくる。
パートナーシップは「価値提供」ではないし、そこに友人としての関係や、男女としての関係、経済的な関係などが絡んでくる。
さらにお互いが男・女としての性質の違いがあるから、良かれと思ってやったことが、相手からするとやめて欲しいことだったりもする。
こんなに頑張っても報われないなら、もういっそ誰ともパートナーシップなど育まない方がいい。
そんな極端な結論とともに、僕は誰ともパートナーシップを結ばない暮らしをしていた時期もあった。
その時期は結果、さほど幸せではなかった。
*
僕は誤解をしていた。
どこかにパートナーシップの理想形があると思っていた。
どこかに理想のパートナーシップを育める運命の相手がいると思っていた。
それは2013年、本気で悟りを開きたいと思っていたころの僕と似ている。
悟りを開けば、人生が満たされると思っていた。
どこかに悟りへの道が開かれていると思い込んでいた。
*
結果、どこにもそんな道は開かれていなかった。
皮肉なことに、悟りなんて開けないから、悟りなんてどうでもいいと投げ出した時、もっとも悟りに近づいていた。
パートナーシップも同じだ。
理想形を探し求めている間は、どんどんそれは遠ざかる。
かといって現状に耐えてあきらめろということでもない。
ちょうどいい例えはないだろうかと思っていた矢先に、以前クライアント企業の社長さんが言っていた言葉を思い出した。
「サグラダ・ファミリア方式」
つまり永遠の未完成だ。
永遠の発展途上。
その発展のプロセスをともにする相手がパートナーだとしたら。
どんな困難も受け入れられそうな気がする。
パートナーシップは難しい。
だからこそ取り組みがいがあるし、サグラダ・ファミリアが積み重なっていく様はとても楽しいし美しいのだ。