おはようございます。
ハワイから帰ってきてからというもの、時差ボケの助けもあって毎日4時~5時に起きています。
昨日も早起きをして天文館店の最後の引っ越し&粗大ゴミ出し&大掃除でした。
大きな家具をリサイクルショップ&粗大ゴミを手伝ってくれる友人のトラックに積み、スタジオ内は空っぽになりました。
スタジオ内の壁も取り壊され、鏡ももうありません。
広くなったヨガスタジオで、最後のマントラを唱えてみました。
いろんなエネルギーが混在していました。
ポジティブなもの、ネガティブなもの。
でもそれら全ては浄化されていき、文字通り、終わりを迎えました。
スタジオの敷地の隣には、つぶれたエステのお店がありました。
普段は入れないのですが、なぜか両敷地を結ぶ通路のドアが開かれていて、隣を初めて除くことができました。
驚きました。
エステのオーナーは夜逃げ同然で出て行ったというのは、聞いていましたが、本当に「ついさっきまで」お店が開いていたかのようにすべては残されていました。
エネルギーもそのまま残り、そのエネルギーは濁っていました。
ちょっと立っていただけでも気分が悪くなるようなエネルギーでした。
トイレの便器は真っ黒で異様な匂いを放っていました。
そのことに良いも悪いもありませんでした。
でも僕はその光景から強烈なメッセージを受け取りました。
「立つ鳥跡を濁さず」
誰もいないスタジオに戻り、掃除機を一心不乱にかけました。
床を一生懸命雑巾がけしました。
棚もすべて雑巾がけしました。
涙がこみ上げてきました。
別に感慨深いわけではありません。
でも涙がこみ上げてきました。
きっと自分の人生の終わりもこんな感じなんだろうとふと思いました。
「自分のもの」だと思っていたすべてのものごとは、流れ去っていき、最後には何もなく、ただそこに「場」というエネルギーがありました。
そのエネルギーはどこまでも優しく、愛に満ち溢れていました。
良いも悪いもなく、愛で包んでくれるとはこういうことなのだと思いました。
最後に鍵をかけるとき、深く深く一礼しました。
このスタジオで信じられないくらいの大変な思いをしたけど、もう今は僕の目の前にそれはありません。
人生の貴重な思い出として刻まれたのです。
考えてみれば、すべての「良い」思い出も「悪い」思い出もこうして流れ去っていくのです。
人生で「良い」「悪い」の判断をすることがいかに虚無的なことか、今回は思い知りました。
すべては体験そのものであり、本当の自分とは一体誰なのか、それを思い出させてくれるプロセスです。
今日もそのプロセスは続きます。
HIROKI