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マヤ歴では元旦にあたるという7月26日。
僕は、朝からシヴァナンダのクラスを1本と、夕方にまたもやシヴァナンダのクラスを1本行いました。
夕方のクラスは★(運動量)5つのクラスということで、太陽礼拝を普段より多くやってみました。(左右10回ずつ)
普段は僕自身は太陽礼拝は行わず、生徒さんの形を見ながら口頭アジャストに入るのですが、昨日はなんとなく僕も一緒にやろうと思って10セット行ってみました。
最初は楽しく、途中だれてきて、最後うんざりしかかったところで、ハイになる(笑)、そして終わる。
2013年、タイのチェンライでシヴァナンダヨガのTTCを受けていたころを思い出しました。
あのころも毎日たくさん太陽礼拝をしていました。
あのころも、いろんな状況がありました。
でもあのころ抱えていた状況は、今、どこにもありません。
ということは、今僕が抱えているいろいろな状況も、2年もするとどこにもないのでしょうね。
プライベートでも仕事でも、人生生きていると大変なことがたくさんあります。
僕自身いつも心がけていることは
「いかに早くそれを笑い話にできるか」
ということです。
笑い話にする、というのはふざけるとか馬鹿にするということではなくて、自分の中で「終わったこと」にするという意味です。
逆に言えば、気にしている間というのは、まだ「続いている」ということなのかもしれませんね。
僕にはこうして、ブログを書いたり、メルマガやfacebookでの発信を通じて、「ネタにする(アウトプットする)」という習慣があります。
面白いもので、書いている途中からそれは、笑い話になることもあれば、ネタになることもあるのです。
昔から偉大な人がなんらかなの形で日記をつけているのは偶然ではないのでしょう。
日記をつけることで、「自分を客観視する自分」が生まれるのだと思います。
「自分を客観視する自分」とは、「映画を見る自分」に似ています。
映画の登場人物が自分自身だと思えば、ホラー映画なんて見ていられないですよね。
でも映画の登場人物と自分自身は別なんだということがわかっていれば、ホラー映画は娯楽でありレジャーになるのです。
人生も同じようなものなのだと思います。
僕は、亀井弘喜という人間であるとともに、亀井弘喜という人間のストーリーを見続けている観察者でもあるのです。
改めて観察してみると、面白いストーリーだなと自分でも思います(笑)。
マヤ歴でいう新しい年はどんな1年になるのでしょうか。
来年の今頃は何を書いているのでしょうか。
去年の今頃はこんなことを書いていたようです。
人生は続きます。