人から否定や攻撃をされた(ように感じる)ときの対処の仕方:「赤い帽子はかぶっていません」 | 心理カウンセラーかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

ブログを書いたり、facebookやメルマガで発信したりしていると色んなことが起きてきます。


例えば、「あなたの書いてることは間違っている」という意見をもらうことだってあるかもしれません。


僕自身は、あまりこういう否定や攻撃をもらうタイプではありません。
誰かを否定するような書き方をしないように気をつけているし、実際誰かを否定したり、自分の考え方や生き方を「良い」と思ったりしてるわけではないからです。


でもたまに、「こうした方がいいよ」とか「こうするべきだ」という優しい指摘をいただくことがあります。


僕はこういうとき困惑するのです。


例えば、先日は財布をなくして子どもを連れて仙台まで行ったり、昨日はケータイをなくして名古屋から帰ってきたことを投稿しました。


すると、「注意散漫になってるから気をつけたほうがいいですよ」という指摘(アドバイス)をいただいたのです。


2~3年前の僕ならこういうことを言われたとき2種類の反応が起きてきました。


①うるせえな!!!注意散漫になんかなってねぇ~よ!!!(逆切れモード)


②ああ、確かにそうだ...。自分は注意散漫だった...。これから気をつけなければ(罪悪感/反省モード)


どっちもあまり自分にとって役には立たない反応でした。


いずれにしても僕はこんな風に自由(そして極端に?)に生きてるもんで、そうすると誰かから「もっとこうした方がいい」的アドバイスを受けることが結構あったのです。(そういうときの特徴は求めてないのにアドバイスされることでした)


3年前のマウイ島でのメンターのアラン・コーエンさんのリトリートのとき。
このことを参加者たちの前でアランに相談したのでした。


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僕:「アラン、誰かから否定や攻撃を受けたときってどうしたらいいのでしょうか?僕はいつも、極端に反逆したり、傷ついたりしてしまいます。」


アラン:「そうですか。じゃあ例えば、今僕がこう言ったとしましょう。" ヒロキサン、その赤い帽子、変だから脱いでください。不快なんです。"」


僕:「?」


アラン:「どう感じましたか?」


僕:「いや、どう感じたも何も赤い帽子はかぶっていないんで...。」


アラン:「反逆したり、傷ついたりしましたか?」


僕:「いや...。全く。」


アラン:「どう感じましたか?」


僕:「この人は何を言ってるんだろう?って。」


アラン:「でもこの人にとって、"ヒロキサンが赤い帽子をかぶっている"というのは真実ではありませんか?」


僕:「ああ、そうですね。」


アラン:「誰かが誰かを攻撃したり否定したりするとき、こういう構造があるんです。過去の体験から来る価値判断基準を、今の目の前の人に当てはめる。これをコーチングの用語では"投影"といいます。」


僕:「なるほど...。」


アラン:「では僕がこう言ったとしましょう。"ヒロキサン、その髪型変なので、今すぐ変えてきてください。"」


僕:「えっ。」


アラン:「どう感じましたか?」


僕:「髪型変だったかなってすごく傷つきました(笑)。」


アラン:「でしょう?(笑) つまり、自分でもそう気にしているとき、人は傷ついたり反撃したくなる(髪型の例)。自分では全くそう思っていないとき、人は傷つくこともないし、反撃することもない(赤い帽子の例)。ヒロキサンがすべきことは、相手の意見や要求に従って改善することではなくて、自分のしたいようにすることですよ。」


僕:「ありがとうございました。」


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投影。


僕自身も人間ですからこれを人にやっています。


投影にはプラスの投影もあります。
それは共感になるのかもしれないし、憐憫が加われば同情になるのかもしれません。


マイナスの投影になったとき、それは不満になったり、注意になったり、アドバイスになるのかもしれません。


投影する自由を神様は人間にくれたわけだし、見方を変えたら人は物心ついたころからずっと投影合戦をしてるとも言えるでしょう。


今の僕は、誰かから否定や攻撃をされたように感じても、「投影された」という認識が起きるだけでプラスもマイナスもありません。


そしてできるだけ投影されないような言い回しや振る舞いを心掛けています。


それでもされることは起きてきます。


そんなとき僕にできることは相手に向かってこう伝えることだけなのです。


「僕は赤い帽子をかぶっていません。」


例え相手にとって赤い帽子を僕がかぶっていることが真実だったとしても、僕には僕の真実を伝えることしかできないのです。


そうして、自分も相手も投影しながらお互いを見ていることを認識できたとき、実はありのままのお互いを見ることにつながるのではないでしょうか。


ひいては、理解できない相手を理解しようとしたり、共感できない相手をそのままそっとしておいてあげられるようになったりしていくでしょう。


こうして地球から争いはなくなっていくのです。


相手を理解し、尊重する。


でも自分は自分軸で生きる。


この二つは両立できるのです。


だから僕は僕のことを理解できなかったり、アドバイスしたくなる人の気持ちを理解し、尊重します。


でも僕は、相手のその「良かれと思ってアドバイス」を受け入れることはないのです。(役立つと思えばむしろアドバイスではなくても積極的に取り入れるでしょう)


さて、これを読んであなたはどんな気持ちになったでしょうか。


読んだ方のお役に立てたら嬉しく思います。