「品川のホテルのそばにあるイチョウの木があまりにも美しくて涙が込み上げてくる」
という小説か映画みたいな体験が今朝、さきほど起きてきました。
イチョウの木があまりにも美しい、っていうこと以上に重要なことはその瞬間存在していませんでした。
自然とか芸術とかに全く無縁だと自分のことを見ていたのですが
無縁でいることなんて不可能なんだなと気づきました。
多分、いつでもイチョウの木は今朝と変わらず美しかったはずです。
僕がそれを受信するチャンネルを持ってなかったのです。
テレビやラジオのように、美しい世界の周波数は、いつでもこの世界に溢れてる。
でもそれはチャンネルを合わせなければ現れてきません。
満員電車の中でもそのチャンネルに合わせれば美しい世界は見えてくることも確認できました。
今からさいたまの特別養護施設に住むおばあちゃんに会いに行きます。
おばあちゃんはだんだん過去を忘れてきています。
そしてどんどん幸せそうになっていきます。
幸せそうなおばあちゃんの目を見ると、涙が込み上げてきます。
それはイチョウの木の美しさと同じ周波数だとも感じます。
今日は、このチャンネルを受診して瞬間瞬間を過ごすことになりそうです。
東京の大切な友達との再会がたくさん待っている日でもあるからです。
そして、この投稿を見てくださっている方もきっと同じチャンネルを見ることになると思います。
美しい世界をともに目撃できることに今、心から喜びを感じています。