こんにちは!
鹿児島のライフコーチ、
亀井弘喜(かめいひろき)です。
ほんきの自己紹介記事シリーズ、その5です。
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<弘喜 11歳~12歳>
その1はこちら↓。
ほんきの自己紹介 ~ その1 ~<0歳~6歳>
その2はこちら↓
ほんきの自己紹介 ~ その2 ~ <7歳~10歳>
その3はこちら↓
ほんきの自己紹介 ~ その3 ~ <10歳の転換期①>
その4(前回)はこちら↓
ほんきの自己紹介 ~ その4 ~ <10歳の転換期②>
父と母の離婚の危機は免れたその後…。
母は極端にお酒を飲む量が増えました。
前からビールとかは好きで飲んでいたようなのですが、あの離婚騒動以来、悲しみにくれるような飲み方に変わっていったのです。
夕方、料理を作りながらまずビールを数本飲む。
晩ご飯、兄と僕と一緒に食べながらまた数本。
さらに僕らが食べ終えてもずーっと飲んでいる。
そしてフラフラしながらお風呂に入って、お風呂上がりにまた数本。寝る前にも数本。気づけば1日に350mlの缶ビールを一人で10本くらい空けてることも珍しくありませんでした。
ビールの量が増えるとともに、家事をやる度合いが下がっていったり、家事の質が下がっていったりしました。
例えば、夕食後の食器の洗い物をする元気がもうなくて、そのままになってたり。
父のスーツやシャツのアイロンが適当にかかるようになったり。
洗濯物などもすごく溜め込んでいたような気がするし、部屋もだんだん散らかっていくようになりました。
そんなある日。
父が帰るなり激怒していました。
「なんなんだ、このシャツは。全然アイロンがかかってないじゃないか。背広だって。何やってるんだ!」
母はすでに酔っぱらっていたこともあって、最初は強気に言い返しました。
「ちゃんとかけたわよ!」
父は輪をかけて逆切れします。
「かかってなかったって着てた俺が言ってるんだよ!お前は頭がおかしいのか!」
母はまた悲しみをこらえ恨みを溜め込むときの表情に戻って、ぐっと黙り込みました。
父は、「次からはちゃんとかけておけ!」と吐き捨ててお風呂へ行きました。
母は台所でしくしくと泣き、またビールを手にする。
そんな毎日の繰り返しでした。
いつからか、夕食後の後片付けは、酔って寝てる母を尻目に小学生だった僕がやるようになりました。洗い物をしていない状態を見ると父がまた怒るからです。
そんなある日、母がいつものように、酩酊状態になって寝静まっていました。確か深夜0:00頃だったと思います。
母が起きて、何やら自分の洋服をすべて脱いで裸でトイレを何度も流しているのです。
寝ぼけながらも起きた僕。
母に、「お母さん、何やってるの?」と聴きました。
「洗濯機が回らないのよ。」と座った目で答える母。
僕は、「それは洗濯機じゃなくてトイレだよ。寒いから早く服を着な。」と言いました。
そのとき。
仕事で疲れた父が帰ってきたのです。
父は裸でトイレに自分の服を突っ込んでいる母を見て、逆上しました。
「何やってるんだ、お前は!」
母は、父を見るなり、あきらめたような、馬鹿にしたような表情を見せ少し笑いました。
父は、さらに激怒。
裸の母の髪の毛を引っ張り、部屋中を引きずりまわしながら、
「目を覚ませ!この馬鹿が!」
と叫んでいました。
お母さんがかわいそうだった僕は、「やめてよ、お父さん!」と言い、必死の抵抗を試みましたが、大人の力にはかないません。
いつの間にか、兄も起きていたようでした。
寝室にまで母の髪をつかんで引きずって行った父。
今度は、馬乗りになって、強烈なビンタを何度もしていました。
母は、それでもあきらめたような表情、そしていつもの何かにおびえるような恐怖の表情をしながら泣き叫んでいました。
決して謝らない母。
エスカレートする父。
最後には、母の髪の毛を、父はポケットに入れていたライターで火をつけたのです。
「いい加減に目を覚ませ!」
母は、「熱い!」とさらに泣き叫ぶ。
僕は、もう父にも母にも何も言えず、兄とともに茫然とその光景を見ていました。
そしてこの体験が、おそらく初めての「感情のスイッチを切る」体験でした。ここから転落の人生が始まっていきます。
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次回、ほんきの自己紹介 ~その6~ <11歳~12歳 父と兄との衝突>へ続きます。