[就活の進め方] 評論家にならず、当事者として生きる | 心理カウンセラーかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

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かめいひろき@自宅に戻ってプチ一人暮らし中です。



最後に、お会いした就活生メンティーのMさん(女性)と

Iさん(男性)と一緒に話していて、気づいたこと。



正直言って、まだ自分でも全然整理がつきません(笑)。



とても深く、そして何より自分の人生にとって

大きな意味のあることを会話したような自覚があるのですが、

まだ言語化できません。




唯一言語化できたこと。




それは、私自身の生き方の問題です。




私は、自分のことをネタにできない人間性を持っています。




なんて言うんでしょう、いわゆるボケられないのです。




常に、かっこつけているというか。
(ちなみにそういう生き方、性格と決別したいなーという気持ち、
 同時にそういう生き方、性格の自分も愛したいなーという気持ち、
 同居した複雑な人間です、私は(笑))





で、かっこつけている人間は、誰でもそうだと思うんですが、

何かあると、すぐに評論家になります。




評論している裏には、自分自身の、ふかーい感情があるのですが、

それを感じてはいけない、というか、

それを感じることをあえて「しない」選択をし、

評論家的な立場に身を置くことで、「安全」を手に入れているのです。




私自身がそういう選択をするようになったのは、

幼少の時の体験が大きく影響しています。




ダメな自分では認められない。


ダメな自分は価値がない。





だからかっこつけて、常に評論家的な正しさを身につけ、

冷静さを装い、よく言えばクールに、

悪く言えば、無感情に生きてきたように思います。





感情を解放できたひとつの決定的な出来事。





それが2010年6月30日の母との死別でした。





でも、母が脳腫瘍になり、余命があとわずかだと言われても、

面と向かって、産んでくれたことへの感謝の言葉、

育ててくれたことへの感謝の言葉、

どちらも言えず、かっこつけて、結局手紙でその言葉を

伝えたのです。





感謝したいという気持ちは、

かっこつけたい、恥ずかしいという気持ちに勝てませんでした。





もう一つ、母が生きているうちに、

母を抱きしめることができませんでした。

抱きしめるどころか、手をずっと握ることができたのも、

脳梗塞でほぼ意識がなくなった後でした。





愛している、という感情は、

かっこつけたい、恥ずかしいという感情に勝てませんでした。





というか、今日話していて気づいたのは、


感謝しているという感情や、


愛しているという感情を、


そのときにちゃんと感じることができていませんでした。




そしてそのことを悔やみ、自己変革を目指し、


一生懸命、働き、学び、生きてきました。





気づいたら、多くの就活生が私を慕ってくれるようになりました。





でも、慕ってくれる人の中に、ひとつの共通項があることに、


最近気づきました。



私の就活生メンティーたちの多くは、


みんな、どこかで感情を感じていない、もしくは、


感情を感じないスイッチを入れた経験がある人たちなのです。


みんな、ふとしたときに評論家的立場に立つことがあるのです。





これは、きっと私自身が引き寄せているものだと、


今日、確信できました。





だから、彼らにアドバイスするよりも先に、


私自身が本当の意味で評論家を卒業し、


感情を感じる生き方を実践します。





就活生の方にとっても、


もし評論家的な生き方を選択している、


せざるを得ない状況になっているとしたら、


是非、当事者としての生き方を選択するように


軌道修正して欲しいし、そういうお手伝いができたら嬉しいな、と思いました。





おそらく当ブログ始まって以来の、

意味不明なエントリかもしれませんが(笑)、

伝わる人に伝わったら、それで十分です。




就活とは、採用するほうも、就活するほうも、

人生をより良く過ごすためのきっかけになる。




私はその大切なことを一生かけて伝えていきます。