人が個人として活動するとき、所属を隠すことはしばしば行われる。たとえば、現役の官僚である中野剛志氏は、雑誌等に論考を寄せるときは「評論家」の肩書を使う。これは、その見解が所属する省庁の見解であるとの誤解を防ぐためのもので、中野氏に限らず、組織に属する人がこうした配慮を行うのはごく一般的なことである。

 

大学教員の場合、学問の自由があるので、基本的にはその肩書を隠すことはあまりしなくていい。中野氏も大学教員の時は、所属大学名を使って活動していた。しかし、大学人として行うことが不適切な活動の場合はその限りではない。

 

教育基本法にはこう書かれている。

 

第7条 大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

第14条2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

第15条2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

 

教育基本法第14条2項で、法律に定める学校(大学を含む)は政治活動を禁止されている。大学の教員がその肩書を使って活動していれば、それは大学の活動の一部であるから、大学が政治活動をしていることになる。これは明らかな法律違反である。

 

これに対して、教育基本法第14条2項は大学の政治活動を禁止しているだけで、教員個人の政治活動は禁止していないと反論する人がいる。たしかに、大学の名前を使わずに一個人として政治活動をする自由はある。しかし、所属大学名を使って活動すれば、それは教員個人の活動ではない。

 

このことは、第15条の方を考えてみれば分かりやすいだろう。国公立大学の教員が、大学教員の肩書を使って宗教活動をすることは許されるだろうか。これについては、流石におかしいと思う人が多いだろう。大学名を使った政治活動については、多くの教員が既にその禁を破っているため、何となく慣れてしまっている人が多いかもしれないが、法律上は国公立大学名を使った宗教活動と同列に禁止されている行為なのである。

 

さらに例を挙げよう。安保法制反対の人の大多数は、大学の軍事研究に反対の立場の人である。では、ある大学教員が、これは教員個人の研究であると強弁して軍事研究を始めたら、それを許すのだろうか。おそらく猛反対するであろう。

 

迷惑がかかるので匿名にするが、私の知っている教員で一つ例がある。彼は米国の大学のある学者と共同研究を行っている。研究の中身は軍事研究ではないが、米軍から研究費が提供されているプロジェクトである。これに対して、その教員の所属する大学の副学長が、独断でその研究を大学の施設を使って実施するのを禁止し、やりたければ個人として行うように命じた。また、研究成果を発表するとき、所属として大学名を名乗ることも禁じた。大学名を名乗れば大学の活動の一部になるという認識があるからこそ、こういう判断になるわけである。

 

もちろん、私が何を言っても左翼活動家の人には全く響かないことは重々承知している。彼らは自分の価値観が絶対であり、それに合致しないものは法律でも無視する独裁的思考の持ち主である。ここに書いたことは、そうした左翼活動家の論理に何となく流されてしまっている常識と理性を持つ人たちに向けたものであるとご理解いただきたい。