この世の中には二種類の議論がある。一つは、真理により近づくための議論、もう一つは、自己利益達成のためにより多くの支持を受けることを目的とした議論である。後者の議論を行う者は、あらゆる詭弁を用いて自己正当化を試みる。そういう詭弁を見抜くときに役立つのが、その議論をメタレベルで考えることである。

 

ここで議論してきた学者による政治活動について考えてみよう。学者Aが政治活動をしている。それを学者Bが批判する。学者Aが、政治活動を批判すること自体が政治活動であると反論する。その反論が通るとどうなるか。学者はどんな政治活動をしても許されることになる。結果として学問と政治の境界が無くなり、学問は消滅する。

 

学者の政治活動禁止は、学問に関するメタレベルの議論であるのに、そのレベルの違う議論を同じ土俵に引きずり込むと、学問そのものを消滅させることができるのである。

 

これと似た話は、ダイバーシティ(多様性)に関する議論でもある。今のダイバーシティ信奉者は、多様性を認めない思想に対しても寛容ではなければならないと主張する。欧米においては、それまで主流であったキリスト教やその国の文化・伝統を守るという思想は厳しく糾弾する一方、イスラム原理主義や左翼原理主義のように、多様性を認めない思想であっても新興勢力に対しては寛容なダイバーシティ論が強い力をもっている。そうしたダイバーシティ論に基づいて政治を行うとどうなるか。その社会は多様性を認めない新興勢力に乗っ取られ、結果としてダイバーシティが全く認められない社会が誕生することになる。多様性を維持するためには、多様性を認めない思想だけは認めないというメタレベルのルールが必要なのである。

 

こうしたメタレベルを意識した思考は、詭弁を見抜くために必須なものである。今後社会的論争に遭遇したとき、ぜひ実践していただきたいと思う。