【HK14S/007】◎夏目漱石◎「こころ」◎先生の遺書(七)◎ | HK5STUDIO/CONVENI

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【HK14S/007】◎夏目漱石◎「こころ」◎先生の遺書(七)◎

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私は不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅(うち)へ出入(でい)りをするのではなかった。私はただそのままにして打過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊(たっと)むべきものの一つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際(つきあい)が出来たのだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向って、研究的に働らき掛けたなら、二人の間を繫(つな)ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。それだから尊(たっと)いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たい眼(まなこ)で研究されるのを絶えず恐れていたのである。

私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅(うち)へ行くようになった。私の足が段々繁(しげ)くなった時のある日、先生は突然私に向って聞いた。

「あなたは何でそう度々(たびたび)私のようなものの宅へ遣(や)って来るのですか」

「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかし御邪魔(おじゃま)なんですか」

「邪魔だとはいいません」

なるほど迷惑という様子は、先生の何処(どこ)にも見えなかった。私は先生の交際の範囲の極めて狭い事を知っていた。先生の元の同級生などで、その頃(ころ)東京にいるものは殆(ほと)んど二人か三人しかないという事も知っていた。先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは皆(みん)な私ほど先生に親しみを有(も)っていないように見受けられた。

「私は淋(さび)しい人間です」と先生がいった。「だから貴方(あなた)の来て下さる事を喜こんでいます。だから何故(なぜ)そう度々来るのかといって聞いたのです」

「そりゃまた何故です」

私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳(いくつ)ですか」といった。

この問答は私に取って頗(すこぶ)る不得要領(ふとくようりょう)のものであったが、私はその時底(そこ)まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経(た)たないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否(いな)や笑い出した。

「また来ましたね」といった。

「ええ来ました」といって自分も笑った。

私は外(ほか)の人からこういわれたらきっと癪(しゃく)に触(さわ)ったろうと思う。しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。

「私は淋しい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打(ぶ)つかりたいのでしょう。……」

「私はちっとも淋(さむ)しくはありません」

「若いうちほど淋(さむ)しいものはありません。そんなら何故貴方はそう度々私の宅(うち)へ来るのですか」

此所(ここ)でもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。

「あなたは私に会っても恐らくまだ淋(さび)しい気が何処かでしているでしょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元(ねもと)から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。貴方は外(ほか)の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」

先生はこういって淋しい笑い方をした。