【HK14S/006】◎夏目漱石◎「こころ」◎先生の遺書(六)◎

私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数(どすう)が重なるに伴(つ)れて、私は益(ますます)繁(しげ)く先生の玄関へ足を運んだ。
けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶(あいさつ)をした時も、懇意になったその後(のち)も、あまり変りはなかった。先生は何時(いつ)も静(しずか)であった。ある時は静過ぎて淋(さび)しい位であった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、何処(どこ)かに強く働らいた。こういう感じを先生に対して有(も)っていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後(のち)になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿気(ばかげ)ていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉(うれ)しく思っている。人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐(ふところ)に入(い)ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事の出来ない人、――これが先生であった。
今いった通り先生は始終静かであった。落付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。窓に黒い鳥影が射(さ)すように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその曇りを先生の眉間(みけん)に認めたのは、雑司ケ谷(ぞうしがや)の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。私はその異様の瞬間に、今まで快よく流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一時の結滞(けったい)に過ぎなかった。私の心は五分と経(た)たないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春(こはる)の尽きるに間(ま)のない或(あ)る晩の事であった。
先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏(いちょう)の大樹(たいじゅ)を眼(め)の前に想(おも)い浮べた。勘定して見ると、先生が毎月例(まいげつれい)として墓参に行く日が、それから丁度三日目に当っていた。その三日目は私の課業が午(ひる)で終(おえ)る楽な日であった。私は先生に向ってこういった。
「先生雑司ケ谷の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」
「まだ空坊主(からぼうず)にはならないでしょう」
先生はそう答えながら私の顔を見守った。そうして其所(そこ)からしばし眼を離さなかった。私はすぐいった。
「今度御墓参(おはかまい)りにいらっしゃる時に御伴(おとも)をしても宜(よ)ござんすか。私は先生と一所に彼所(あすこ)いらが散歩して見たい」
「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」
「しかしついでに散歩をなすったら丁度好(い)いじゃありませんか」
先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」といって、何処(どこ)までも墓参(ぼさん)と散歩を切り離そうとする風(ふう)に見えた。私と行きたくない口実だか何だか、私にはその時の先生が、如何(いか)にも子供らしくて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。
「じゃ御墓参りでも好いから一所に伴(つ)れて行って下さい。私も御墓参りをしますから」
実際私には墓参と散歩との区別が殆(ほと)んど無意味のように思われたのである。すると先生の眉(まゆ)がちょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪(けんお)とも畏怖(いふ)とも片付けられない微(かす)かな不安らしいものであった。私は忽(たちま)ち雑司ケ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだったのである。
「私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事の出来ないある理由があって、他(ひと)と一所にあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻(さい)さえまだ伴れて行った事がないのです」