【HK9S/EDUCE/028】◎世界史への招待◎ | HK5STUDIO/CONVENI

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ジャガイモは、アメリカ合衆国第35代大統領、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディとも
深いつながりがあります。
ケネディは若くして大統領として活躍し、暗殺されたことでも有名です。
ケネディは
「1960年代の内に人類を月面に立たせ安全に地球まで返す事を約束する」
と声明を発表しました。
その公約通り、1969年7月にアポロ11号が月面への着陸に成功し、
人類は月にその第1歩を記すこととなりました。
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今回のテーマは「ジャガイモのグローバルヒストリー」、ジャガイモから世界の歴史を学んでいきます。
ジャガイモの原産は南米のアンデス山脈であり、それが長い年月を経て世界に広まりました。
煮る、焼く、フライにするなど、ジャガイモ料理の種類は豊富です。
今や世界中の人たちがジャガイモを食べています。
このジャガイモが、ケネディの大統領就任にも深く関わってきます。
月着陸の実現とジャガイモに、どんな歴史的なつながりがあったのでしょうか?
ジャガイモと月着陸との関係から、世界の歴史をひも解きます。
ジャガイモは南米アンデス山脈の原産で、標高4000メートル近い高地に自生していました。
雨が少ない上に、昼夜の温度差が激しいため、小麦もトウモロコシも育たない過酷な環境です。
アンデスで使われていた、ジャガイモをかたどった土器があります。
紀元前1000年から500年頃に使われていたと推定され、紀元前からアンデスでジャガイモが食べられていたことの証拠です。
ジャガイモが世界へ進出するきっかけは15世紀に訪れました。
この頃、ヨーロッパは大航海時代の最中でした。
1492年、イタリア出身のコロンブスがスペインの援助を受け、アメリカ大陸への到達を果たします。
この当時アンデスを治めていたのがインカ帝国です。
国土は現在のペルーを中心に南北4000キロに及び、最盛期には1600万人もの人口を抱える、巨大な帝国でした。
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インカ帝国の時代に行われていた「インティ・ライミ」は、冬至の日に太陽の復活を祈願する儀式です。
ジャガイモは1600万もの人口を支える重要な食料であり、儀式にも奉納されました。
しかしフランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍の侵略によって、インカ帝国に危機が訪れます。
侵略は、インカの豊富な黄金を奪うためでした。
数万人のインカ軍に対し、スペイン軍は僅か200人足らずです。
しかし南米にはいなかった馬や鉄の兵器を用い、鉄砲や大砲まで駆使するスペイン軍は、インカ軍を圧倒します。
1533年、インカ皇帝は処刑され、インカ帝国は滅亡したのでした。
スペイン人たちは、金銀を始め様々なものをヨーロッパに持ち帰りました。
この時、ジャガイモも初めて大西洋を渡ります。
ジャガイモはこの後、世界中に伝わり、全人類の財産になっていきました。
武力でインカを侵略したスペインでしたが、実はスペインには鉄砲や馬より恐ろしいものがありました。
南米になかった天然痘やインフルエンザ、はしか や おたふく風邪等の伝染病です。
南米の人たちは病気に対する免疫を持っていませんでした。
ヨーロッパから持ち込まれた伝染病のため、インカ帝国の人口は激減しました。
16世紀にヨーロッパに渡ったジャガイモは、最初は食用ではなく、主に家畜のえさとして用いられていました。
その転機は17世紀から18世紀に訪れます。
この頃、ヨーロッパでは、多くの戦争が起きていました。
宗教の対立から、幾つもの国々が争う時代を迎えていました。
戦争が食糧不足を引き起こした上に、この時期は「小氷期」とも呼ばれ、寒冷な気候が襲っていました。
戦争と寒さのダブルパンチで、飢饉が頻発しました。
食糧不足を解消する方法として、プロイセン国王フリードリヒ2世によって出されたのがジャガイモ令です。
「ジャガイモは、人間および家畜にとって非常に有益であるから、これを栽培せよ」と命じました。
それまで家畜のえさでしかなかったジャガイモを、国王自ら、国民に食べることを強制しました。
ジャガイモの持つ利点に注目したのです。
そもそも地面の下で育つジャガイモは寒さに強く、しかも小麦のおよそ10倍もの収穫を得られました。
プロイセン国王のジャガイモ令は、国民を食糧難から救いました。
更に、この成功を見たフランスやロシアも、積極的にジャガイモ栽培に乗り出します。
その後、ヨーロッパの人口が増加した要因の一つが、ジャガイモの普及だとする説さえあります。
日本でも同時代にあたる18世紀、「亨保の大飢饉」など大きな飢饉が起きました。
当時の将軍、徳川吉宗(1684-1751)は、痩せた土地でも収穫できる さつまいもの栽培を奨励し飢饉を
乗り越えました。
プロイセンも日本も、似た状況が訪れていたと言えます。
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ヨーロッパの西の端、大西洋に浮かぶアイルランド島は、ケネディの曾祖父の故郷です。
島の南部の町には、ケネディの祖先の家が今も残ります。
ケネディ大統領の3代前になるケネディ一家は、この小さな部屋をあとに、アメリカへ移住しました。
そこには、ジャガイモが大きく関係しています。
カトリックのアイルランドと、プロテスタントのイギリスとの間には、宗教的な対立がありました。
カトリック弾圧の任にあたったのは、イギリスのクロムウェルです。
彼はアイルランドに攻め込み、教会を破壊し、信者を虐殺しました。
イギリスはアイルランドを征服し、植民地としました。
アイルランド人は、農地の多くを没収され、小作農となりました。
収穫した穀物の殆どは地主に納めなければなりません。
そのため、条件の悪い土地に自分たちの食料として、ジャガイモを植えるようになりました。
アンデス原産のジャガイモは、寒く、痩せた土地でも育ちました。
ケネディ大統領の祖先が生き延びたのも、ジャガイモのおかげと言えます。
ところが、1845年、ジャガイモ畑に異変が起きます。
ジャガイモ疫病が発生し、国中のジャガイモが一斉に枯れてしまったのです。
これがジャガイモ飢きんです。
飢饉により、人々を餓えが襲い、100万を超える人々が犠牲になりました。
かろうじて生き残った者のうち、150万の人々は大西洋を越え、アメリカを目指しました。
1848年、ケネディ大統領の曾祖父もこの中にいました。
アイルランドからの移民は、その後のアメリカ社会を支えていくことになります。
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時代は20世紀となり、1961年、ジョン・F・ケネディはアイルランド系カトリック初の合衆国大統領となります。
この頃、世界はアメリカを中心とした資本主義陣営と、ソ連を中心とした社会主義陣営が対立する「冷戦」の
時代でした。
ソ連はアメリカよりも先に人工衛星の打ち上げに成功しました。
そこでケネディは
「1960年代の内に人類を月面に立たせ安全に地球まで返す事を約束する」
と宣言したのでした。
こうしてアメリカは巨額の国家予算を投じ、威信を掛けた宇宙開発に乗り出します。
しかし1963年11月22日、ケネディは遊説中、志半ばにして暗殺されてしまいます。
ケネディの志を引き継いだアメリカは1969年7月、アポロ11号を発射します。
そして見事月面への着陸に成功し、人類は月にその第1歩を記したのでした。
ジャガイモのおかげでケネディ大統領の祖先が生き延び、そして彼が誕生したからこそ、
人類の月着陸は成功したのかもしれません。
歴史とは、しばしば、このように「いもづる式」に展開してきたと言えます。
ジャガイモだけでなく、人も世界を移動してきたことがわかりました。
また、異国との交流が、今の各国の現状を作ったということも言えます。
日本にジャガイモが来たのは江戸時代初め、16世紀後半~17世紀初頭です。
日本にジャガイモがやってくるまでは、
・ 15世紀から、スペイン、ポルトガルが大西洋に乗りだし南米に到達。
  銀が大量に産出するため、南米を征服。
    ↓
・ 16世紀から、太平洋航路でフィリピンとメキシコが繋がる。
  これにより東アジアと南北アメリカが繋がる。
    ↓
・ ヨーロッパに誕生した東インド会社等が、南北アメリカで得た銀をインドや東アジアに持って行き、アジアの
  産物を持ち帰る。
といった流れがありました。
このように世界は15〜17世紀に繋がったと言えます。
この流れの中で、金銀、作物など色々なものが海を渡って行き交っていました。
オランダ東インド会社はジャカルタにアジアの拠点を置いていました。
ジャガイモは、江戸時代にジャカルタ経由で長崎に入ってきたました。
ジャカルタは当時、ジャガトラと呼ばれ、
ジャガトラ
  ↓
ジャガタラ
  ↓
ジャガイモ
となったと言われています。
金や銀、人や物や病気まで、世界が一体化することによって移動してきました。
それが今の私たちの生活にとても深くつながっており、まさにグローバルヒストリーであると言えます。
また、身近なものが歴史を大きく変えてきたと知ることが、歴史の醍醐味と言えるかもしれません。