【HK9S/EDUCE/001】◎革命の世紀と中国 ~理想と現実の狭間で~◎ | HK5STUDIO/CONVENI

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中国を治めていた清王朝は19 世紀後半、帝国主義の列強による侵略を受けて、半ば植民地のような状態となった。「外国の支配から逃れ、民族の自立を勝ちとろう」と何人もの指導者が現れた。1912 年にアジア最初の共和国として、中華民国が誕生し、新しい中国をつくろうとしたが、その道のりは、平坦ではなかった。列強による侵食、王朝の終末、侵略戦争、内戦、革命。そしてその後に訪れる急速な経済発展
。今回は、中国が激動の時代を経て、飛躍的な発展へと向かうプロセスを学ぶ。
1st stage
17 世紀に中国を支配するようになった清朝は1840 年に勃発したアヘン戦争でイギリスに敗北し、大きな打撃を受けた。19 世紀後半、ヨーロッパ列強は植民地を求めて世界各地に進出した。その動きは、帝国主義と呼ばれる。
日本も列強にならい植民地獲得をめざした。1894年に日清戦争に敗れた清は、列強国による利権争奪の場となり、植民地にも等しい状況に置かれていた。
1911 年に辛亥革命によって清朝は倒れた。翌1912年、孫文が中華民国の建国を宣言し、アジア史上初の共和国が誕生した。しかし、その後も世界の大きなうねりに巻き込まれ、中国の混乱は続く。
2nd stage
1919 年、孫文は中国国民党を組織。1921 年にはロシア革命の影響を受けた中国共産党が誕生する。
孫文の死後、1920 年代後半から国民党と共産党は、激しくぶつかった。そのころ日本は、関東大震災や
世界恐慌に直面し、疲弊していた。その事態を打開しようと、日本軍の一部が、中国への侵略を推し進めた。1931 年に中国東北部で満州事変を起こし、翌年に満州国を建国。1937 年には侵略戦争を開始した。国民党と共産党は、協力して日本と戦ったが、1945 年に日本軍は中国から撤退すると再び対立し、内戦が始まった。農民や労働者の支持を受けた毛沢東の指導する共産党が戦いに勝利し、1949 年 毛沢東を主席とする中国共産党が、中華人民共和国の建国を宣言した。
3rd stage
共産党が指導する中国は、建国以来アメリカなどの資本主義国家と、国交を断絶。中国は国際的に孤立していた。しかし、1972 年中国は、アメリカと国交を回復する交渉を始め、日本とも国交を正常化する。毛沢東の後、指導者になった鄧小平は、1978年から市場経済を大胆に導入。「富める者から先に富め」というスローガンの下、中国の経済は急速に発展した。21 世紀、中国は、外国による侵略から脱却し、新しい中国として、経済大国として歩み始めている。しかし、富裕層が生まれる一方で貧困層も増え、大
きな課題を抱えており、理想と現実の間で揺れ動いている。
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アヘン戦争後に中国は帝国主義による利権争奪の場となり、清朝は疲弊した。1911年に起こった辛亥革命により、皇帝が退位した。2000 年以上にわたって続いた中国の皇帝による支配が、ここで幕を閉じた。しかし、新しい国の形をめぐり、国民党と共産党が対立するようになる。1930 年代には、日本の侵略を受けた。第二次世界大戦後、農民や労働者の支持を受けた共産党が国民党との戦いに勝利し、中国を統一した。1949 年、毛沢東を主席とする中華人民共和国が成立。国際的に孤立した時期を経て、1980 年代以降、改革・開放政策により資本主義経済を取り入れた中国は、経済大国への道を歩み始める。