青い嵐の13日間の8日目です。
青い嵐も後半になりました。
「青い嵐」のエネルギーは嵐のような変容のエネルギーというのがキーワードになるのですが、この嵐によって自分の中の不要なものを吹き飛ばして本物になりましょうという宇宙のメッセージでもあります。
このエネルギーを持っている人は私の印象としてはかなりパワフルです。
自分でもそのパワーをなかなかコントロールできずに、気が付いたら疲れ切っているというところまで行くようです。
この期間も同じようなエネルギーの影響を受けやすいので、自分一人で抱え込まずに、人を信じて任せるということが大事であると学びました。
1年間、私の年回りキンとしても回るエネルギーなので、十分に気をつけたいと思っています。
さて、「宇宙からの黙示録」を読み終わりました。
青い嵐のこの期間にこの書籍を読むことになったのには、大きな意味があったのではないかとひしひしと感じています。
ここに書かれている内容がどのくらい信憑性があるのかはわかりませんが、30年前に手にしていて、それも統一教会に出会う直前の出来事で、もしかしたら、神様からサタンの誘惑に注意しなさいという警告の書であったかもしれないのに、私はまんまと誘惑に負けて信仰という道を歩みました。
上手く、伝えることは難しいのですが、この件について、もう少しじっくりと自分と向き合っていきたいなと思っています。
どうして、統一教会に導かれてしまったのか。
それは必然出会ったのか?
それともサタンの誘惑に負けたのか?
みたいなことです。
誘惑とは?
本の中ではサタンとなったルシファーについてこのように書かれています。
ルシファーは「無(形なきもの、心、精神)により神の愛とうるおいを人類に与える使命を持った天使)であった。
ここに物質により神の愛とうるおいを人類に与える使命を持った天使も登場します。名をオリオンと書かれています。
このオリオンもルシファーも悪に堕ちたとあります。
のんきに神の霊感を待っているだけでよかったのに、なにかしなければ幸せになれないのではないかという焦りといらだちから神の霊感を失い、自我の愛が生じたとあります。
私たちも幸せになるために、何かしなければとか、成功しなければ、努力しなければという思いがあると思いますが、これは神様から出たものではなく、この堕落天使の自我の思いと共通しているのではないかと思います。
そうであるならば、これらのモノを求めれば求めるほど、神様からの霊感から離れていってしまうということになるように感じます。
ルシファーも神からの霊感を失い、神を語って自我で人類を救おうとした、人類をおのれの支配下に置いたとあります。
このルシファ―の思いと多くの宗教指導者の姿とダブってきます。
私が導かれたとき、どんな精神状態だったか。
私とキリスト教の問題から始まるのですが、小中学生の時、仲の良かった友達がカトリック信者2世でした。彼女とは友達なのに、ストレス発散だったのでしょうか?ときに意地悪をよくされました。仲間外れにされたり。彼女はそれだけでなく万引きをして補導されたり、家庭は裕福で恵まれながらも不満の思いをいろんな形であらわしていました。まずもって彼女の姿を見てクリスチャンというものに躓いていた私でした。
それからアメリカに留学した時も、キリスト教系の短大だったで、いろんなことがありました。日本人牧師から伝道されたりもしました。とにかくいろんなことがあって、私はキリスト教嫌いになってしまいました。
それでも世界の4分の1はクリスチャンであるという現実との矛盾を抱えていて、自分の中で納得できないものを抱えていました。その後、1年間の国際交流の旅に出た時も、アメリカ人のメンバーの中にすごいクリスチャンがいて、話を聞きまくりました。一人はその後日本人と結婚して日本で牧師になっています。
それでも納得できませんでした。
その答えをくれたのが統一教会でした。
簡単でした。
「キリスト教は失敗した」の一言です。
再臨主としてこの世に送られた文鮮明氏をメシアとして受け入れることに失敗したために、アダムが失敗したのをアベルとカインという善と悪の表示体としてわけたように、韓半島が北と南に分断された。
そう学びました。
アベルがカインを自然屈服して一つになることによって、アダムの失敗を蕩減する摂理が失敗して今に至ってしまったが、その失敗を蕩減するために北朝鮮を韓国が自然屈服して統一することで、このキリスト教の失敗を蕩減し、再臨主を迎えて地上天国が感性するというようなシナリオであったように記憶しています。
この現代の摂理という講義を聞いた時、それまでの心の傷まで癒されていきました。
友達からいじめにあった傷も、キリスト教の失敗ゆえに彼女があんなことになってしまっていたんだなんて、変なこじつけの思いを持った気がします。
韓半島の統一とは、私が何かここに使命があるとでも思いこまされて、それがこの講義を聞いてガチっとはまってしまったのです。
私は神様から選ばれた選民であるというなんとも言えない優越感、紅潮感を覚えたように記憶しています。
ばかですね。
それまでつらい思いをしたことが、つらい思いをさせられたクリスチャンたちへの報復の思いももしかしたら混じっていたかもしれません。
こんなことを書くとなんと傲慢な強い人間のように思われるかもしれませんが、私、結構、誤解を受けまくっていますが、楽天家で穏やかな性格であると自負してますので、誤解の内容にお願いします。
これがサタンの罠でした。
今、冷静になって客観的に思うと。
本の中にはこんな風にも書かれています。
ニセモノを本物と見間違えるのは、すべて〝真”の判らぬところから生じるのである。いかなる混乱の世にあっても、頼るところをただ天の神様だけにおいて、”真”を見失わない限り正しい道を歩むことができるのである。
人や物、そして組織に頼るとカルマを産むとあります。
組織は問題だったようです。
組織にはリーダーがいますが、そのリーダーが神からの霊感と繋がっていなければ、全部悪(サタン)に引っ張られていきます。
悪は神ではなく自分が神になりかわって支配したいという動機から始まっていますから、みんなここに引っ張られます。
と思いました。
この本には世の終わり、世の浄化、新しい世界についていろいろ書かれています。
またこの辺もお伝えしたいと思っていますが今日はこの辺で。